自己否定の形の一つに、いまの自分を基準にして、過去の自分を裁く、というものがあります。
そんなときは、「そうするほかなかった」という、あきらめの視点を持つことが有効です。
1.自分を受け入れるプロセスとは
昨日の記事では、自分を受け入れるプロセス、というテーマでお伝えしました。
自分を愛する、受け入れるプロセスについて。 - 大嵜直人のブログ
自分を受け入れる、愛することが大切なことは、ここでも何度も書いてきました。
しかし、私たちは自分を受け入れようとしたときに、何がしかの「条件」や「理由」をつけてしまうものです。
「これができるから」
「これが優れているから」
そうした理由づけをして、自分を受け入れよう、愛そうとしてしまうものです。
しかし、こうした「条件」や「理由」をつけた自己受容は、なかなか苦しいものです。
なぜなら、容易に誰かと比較してしまいがちですし、何かができないことが自己否定につながったりするからです。
理想としては、いまそのままの自分自身を受け入れることなのでしょう。
けれども、いきなりその境地に至るのは、難しかったりします。
そんなとき、まずはそうした「『条件』や『理由』をつけてでも愛そうとした自分」を受け入れる、というプロセスの提案が、昨日のテーマでした。
「そうするほか、なかったんだよね」
そのようにして自分に寄り添うことは、自分を受け入れることの大切なプロセスです。
2.そうするほかなかったという視点
「そうするほかなかった」という視点。
それは、少し言葉を変えると、「あきらめ」に近いといえます。
私たちは、自分を責めるときに、過去の自分の言動を許せないことが多かったりします。
「あのとき、こうしておけば」
「あのとき、あんなことを言わなければ」
そうした後悔が、澱のように溜まり、自分を受け入れることが難しくなっていく。
だから、いまの自分も受け入れることはできないし、愛することも難しくなる。
けれども、当たり前のことですが、時間を巻き戻すことはできませんし、すでに起こったことを変えることはできません。
私たちができるのは、ただ、起こったできごとの解釈だけです。
自分を否定するなかで、最もしんどいことの一つが、いまの自分を基準に過去の自分を裁くことです。
当然のことながら、いまの自分の方が経験もありますし、いろんな行動の結果を知っているわけです。
そのいまの自分が裁くのは、反則のようなものですよね。
未来からやってきた人に、「なんでこんなにたくさんハズレ馬券を買ってるの?」と言われるようなものかもしれません。
「そんなもん、結果がわかってたら苦労しないわ!」とでも、言いたくなります笑
けれども、往々にして私たちはそうした視点を自分に向けて、責めてしまうものです。
「そうするほかなかった」
その視点は、過去の自分を裁くことから、私たちを解放してくれます。
3.いまの自分ができることは何か?
「でも、もっとうまくできたかもしれない」
そう思うかもしれません。
けれども、それは少し傲慢といえるかもしれません。
どんなときでも、私たちは自分のできることしか、できません。
たとえ、いまの自分が「もう少しうまい方法があったかも…」と、どれだけ感じたとしても、そのときの自分にとっては、それが精いっぱいだったんですよね。
「サボっていた」「逃げていた」と思うかもしれません。
けれども、何度も同じことになってしまうのですが、「サボらざるをえなかった」「逃げるほかなかった」のではないかと思うのです。
そのときの自分は、それ以上のことはできなかった。
その意味で、先に書いた「あきらめる」というのは、とてもポジティブなものです。
そのときの自分を受け入れること。
そして、いま自分ができることは何かを、考えること。
そうした視点を持つことは、自分を愛することに他なりません。
もし、過去の自分を裁きたくなったときや、過去の自分を責めていることに気づいたときは。
「そうするほかなかった」という、あきらめの視点から見ていただくことをおすすめします。
今日は、過去の自分を裁きたくなったときは、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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