「あきらめる」とは、決してネガティブな意味ではなく、「その事実やできごとをあるがままに受け入れる」という意味があります。
それは「許し」のプロセスに、よく似ています。
1.「そうするほかなかった」という視点
昨日の記事では、「そうするほかなかった」という視点についてお伝えしました。
過去の自分を裁きたくなったときは、「そうするほかなかった」というあきらめの視点が有効。 - 大嵜直人のブログ
自分を否定するパターンの一つに、「過去の自分をいまの自分が裁いてしまう」というものがあります。
「なぜ、ああしなかったのだろう」
「あのとき、こんなことをしたせいで」
そんなふうに自分を責めることは、やはりしんどいものです。
「できなかった」という無力感におそわれたり、「やってしまった、傷つけてしまった」という罪悪感に苛まれたり。
時間を巻き戻すことはできない分、そうした無力感や罪悪感というのは、取り去りがたいものになったりします。
過去の自分を否定するというのは、自己否定の中でも大きな要因の一つです。
しかし、いまの自分を基準にして、過去の自分を裁くというのは、あまりフェアではありません。
そのときの自分には、そのときの状況があり、そのときの判断があったのでしょう。
それを、結果がわかっている地点からジャッジするのは、「後出しジャンケン」に近いものなのでしょう。
だから、昨日の記事では、過去の自分を責めたくなったときは、「そうするほかなかった」という視点をおすすめしました。
それは、一つの「あきらめ」といえます。
「あきらめ」とは、決してネガティブな意味ではなく、「その事実をあるがままに受け入れる」という意味です。
「あきらめる」という言葉の語源は、「明からしめる」であるといいます。
「(ものごとを)明らかにする」ことを指すわけで、現在使われているような、ネガティブな意味ではないようです。
「そうするほかなかった」という、あきらめ。
それは、私たちにこれからどうするかという視点を、投げかけてくれます。
2.「あきらめ」と「許し」のプロセス
この、「そうするほかなかった」という視点の、最終的な行き先は、自分への「許し」です。
過去の自分を、許す。
過去の自分を裁こうとしていた自分を、許す。
「そうするほかなかった」という視点は、そうした「許し」へとつながっています。
「許し」とは、相手のためにする施しなどではありません。
それは「自分自身のために」、相手や起こったできごとを、主体的に100%受け入れることを指します。
そうすることで、自分自身を罪悪感から解放し、自分の人生を主体的に生きるという、とても大きな恩恵を与えてくれます。
そのためには、「何が起こったのか」を、明らかにしておく必要があるわけです。
そう考えていくと、先に書いた「あきらめ」と、ずいぶん近い位置にあるように感じませんか?
「許し」のプロセスのなかに、「感情的理解」というものがあります。
これは、その字の通り、感情ベースで相手の言動を理解していく、という心のはたらきを指します。
「感情的理解」が進んでいくと、
「その人と同じ立場だったら、自分も同じことをしただろうな」
そんな情感をともなったりもします。
要は、「あれはよくない」「間違っている」といった、正誤善悪の判断を外して、その人の行動を感情ベースで理解しようとすることです。
この視線を、自分自身にも向けてあげるわけです。
「もし時間を巻き戻せたとしても、あの状況だったら、同じことをしていたんだろうな」
それは、ある種の「あきらめ」に見えるかもしれません。
けれども、それは「許し」のプロセスといえます。
3.自分を許す
この「あきらめ」似たプロセスが、「自立」的な人ほど難しかったりします。
何かをあきらめるというのは、負けた気がするし、コントロールできないことを認めることですし、自分の無力さを知ることですから。
自分が一人でがんばることで、すべてをコントロールしようとする、「自立」的な人の行動とは、真逆なことが求められるわけです。
はい、イヤですよねぇ笑
ここまで一人でがんばってきたのですから、負けたくないし、コントロールしたいし、役に立つ自分でいたいのは、当たり前なのかもしれません。
けれども、「許し」のプロセスのなかでは、そうしたものは必要ありません。
「あきらめる」ことで、起こったできごとや、過去の自分がしたことを受け入れる。
「そうするほかなかったんだよね」という視点です。
そうすることで、私たちはその相手との関係性を、過去のものにすることができます。
「許し」が進むと、その相手の幸せを祈ることができるようになります。
過去の自分であれば、その自分に愛を送る、という形になるのでしょう。
自分を許すというのは、なかなかに難しいものです。
私たちは、誰よりも自分に対して厳しい視線を向けてしまうものですから。
しかし、ほんの少しでも、その視線を「許し」に変えることができたら。
その恩恵は、莫大なものがあります。
もしも、いまの自分の基準で、過去の自分を責めたくなったとき。
「そうするほかなかったんだな」という視点から、はじめてみてはいかがでしょうか。
それは、ネガティブな意味での「あきらめ」ではありません。
「許し」につながる道です。
今日は、「あきらめ」と「許し」のプロセスについてお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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