大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自分のことに手一杯だと想像力は失われ、他人を感情的に理解することが難しくなる。

「許し」のプロセスで必要な「感情的理解」では、相手の置かれている状況や心情を想像することが大切になります。

しかし、自分のことに手一杯の状態だと、その想像力は失われてしまいます。

1.「あきらめ」と「許し」

昨日の記事では、「あきらめ」と「許し」をテーマにお伝えしました。

「あきらめ」と「許し」のプロセスは、似ている。 - 大嵜直人のブログ

私たちは過去の自分を責めたり、裁いたりすることで、自分を否定してしまうことがあります。

そうしたときに、「あのときは、そうするほかなかったんだな」と、過去の自分を受け入れる視点を持つと、自己否定を緩めることができます。

これは、「あきらめる」という視点に近いといえます。

「あきらめる」とは、一般的には少しネガティブなニュアンスを含むものです。

しかし、その語源は「明からしめる」といわれるように、できごとや事実を明らかにする、という意味もあります。

過去に起こったできごと、あるいは誰かのした行動や言動、そうしたものを明らかにし、そのままに受け入れる。

そうすることによって、私たちは過去のできごとを過去のものにして、いまの私と区別することができるようになります。

「あきらめる」とは、とても能動的で、ポジティブな行為であるといえます。

そして、この意味での「あきらめ」とは、「許し」とよく似ています。

「許し」もまた、相手やできごとを主体的に受け入れることで、自分自身を罪悪感から解放する心のはたらきを指します。

「あきらめ」と「許し」。

どちらもカギになるのは、「感情的理解」です。

できごとや相手の言動を、目に見える部分だけで判断するのではなく、感情ベースで理解しようとする態度を指します。

たとえば、あなたが駅のホームで電車に乗ろうと並んでいたら、横から人が割り込んできて、席に座ってしまった。

そのせいで、あなたは座れずに立っていないといけなくなってしまったとしたら。

「なんなんだ、この人!マナーってものを知らないのか!」

そう怒るのが、当たり前だと思います。

けれども、目に見える行動をいったん差し置いて、その人の感情にフォーカスするのが、「感情的理解」です。

「この人、ものすごく暗い顔をしているな。もしかしたら、何かとても悲しいことがあって、とても疲れているのかもしれないな」

もちろん、割り込みという行為が正しい訳でもありません。

マナー違反であり、褒められた行動でもありません。

けれども、「なぜ、その人がそうせざるを得なかったのか」というところに目を向けるのが「感情的理解」であり、「許し」へのステップです。

そして「あきらめ」とは、そのステップに似ている部分があるようです。

そんなテーマを、昨日はお伝えしました。

2.想像力という、他者を理解するための架け橋

ここで何度も書いていることですが、「許し」とは、自分以外の誰かのためにすることではありません。

「許してあげる」というような、相手に施すようなものでもありません。

「許し」とは、誰のためでもなく、自分自身のためにするものです。

相手の言動や、相手そのもの。

あるいは、起こったできごと。

そうしたものを、「自分の人生の一部」として引き受け、受け入れいくことを指します。

もちろん、そのためには精神的な成熟が必要になりますし、「はい!できた!」と簡単にできることでもありません。

けれども、「許し」が進むほどに、私たちは自分自身を罪悪感から解放し、主体的に自分の人生を歩んでいくことを手助けしてくれます。

そのために必要なのが、先に書いた「感情的理解」という心の動きです。

これは、他人の心情を慮り、「もし自分も同じ立場だったら」という想像力を働かせるものです。

もちろん、究極的には、他人の心情や感情を完全に理解することはできません。

(心の深いところでは、無意識を共有しているといったお話もありますが、それは少し横においておきます)

ただ、「そうじゃないかな?」と想像することは、できるわけです。

この想像力は、私たち人間に与えられた偉大な力であり、それはまた他者との心をつなぐための架け橋でもあります。

繰り返しになりますが、「許し」のなかで「感情的理解」が大事だとはいいますが、「他人を完全に正しく理解すること」が大切なわけではありません。

「もしかしたら、こう思っていたのかもしれない」

「あのとき、あの人はこんなことを感じていたのかもしれない」

そのように想像力を働かせることが、大切なのです。

その想像が正しいかどうかよりも、その想像をすることで、自分のなかにある相手への見方が変わることが、とても大切なわけです。

ものごとの見方がポジティブに変わることを、「癒し」と呼んだりもします。

だから、「許し」とは、最上級の「癒し」でもあります。

3.自分のことに精一杯だと、想像力は失われる

「許し」には、「感情的理解」が必要。

そして「感情的理解」とは、相手の心情や感情について「もしかしたら、こうなのかもしれない」という想像力を働かせ、理解しようとするものです。

「あのとき、こう感じていたのかもしれない」

「もし私があの立場だったら、同じことをしたかもしれない」

もちろん、完全に理解することは難しいのでしょう。

けれども、そうした想像力を働かせることで、自分自身の相手への見方が変わっていきます。

これが、「許し」の基本的なプロセスです。

しかし、この他者の感情を理解しようとする想像力ですが、自分のことに精一杯だと、なかなかそれを発揮するのは難しくなります。

先の例でいえば、いくらその「割り込みマン」の感情を想像しようとしても、自分自身が極度に疲れていたり、あるいは猛烈にお腹が痛かったとしたら、

「いや、いまはそれどころじゃねえ!」

となるのが、当たり前のことだと思います。

そりゃ、そうですよね笑

でも、往々にして私たちは、それをやろうとしてしまうんです。

特に、自分のことを差し置いてまで、誰かのことを想うような、そんなやさしい心を持っている人ほど、そんな傾向があります。

私もカウンセリングでも、何度もそのようなお話を伺ってきました。

だから、「まずは自分」となるわけです。

疲れを取るために休んだり、抑圧してしんどい感情を解放したり、自分をいたわったり。

そうすることで、私たちは想像力を取り戻していくことができます。

「許し」にしても、なんにしても。

やはり、「まずは自分」からはじめることに、変わりはないようです。

今日は、他人を感情的に理解する想像力というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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