今日も日中は汗ばむ陽気でしたが、お日さまが沈むととたんに涼しくなりますね。
朝晩のだいぶ冷え込むようになってきました。こんな季節の変わり目の気候は、体調を崩すことがよくありますね。お風邪など召されておりませんでしょうか。
さて、戻りガツオが楽しめる時期になってきました。
カツオは他の魚と比べて、目利きが難しい魚と言われます。これ!と思ってもおろしてみると案外だったり、逆に期待できない外見でも、おろしてみたら抜群だったり、「割ってみないと分からない魚」なんですよね。喜んで頂けて何よりです。
カツオかサンマか、ポン酢か岩塩か、どちらにしようか・・・
今日はそんな「選ぶ」ことについての言の葉をどうぞ。
梅雨の合間ラン。
だいぶ汗が止まらない湿気になってきた。
迷ったけど、今日の報酬もこのしゅわしゅわ。
たくさんの選択肢の中から、自由に主体的に選び続けることを、人は
愛
と呼びます。
ウィルキンソンさん大好き。
2017.6.22
ランニングの後の報酬ののどごしは、何物にも代えがたいものですね。
いつも自宅近くのコンビニに汗だくで立ち寄り、小銭を握りしめてどの報酬にしようか、悩んでしまいます。
いろんな飲料が並んでいますね。
スポーツ飲料、清涼飲料水、緑茶、コーヒー、炭酸飲料、ミネラルウォーター・・・さらにはビールという飛び道具も魅力的ですね。
コンビニの空調で身体が冷えてきそうになる前に決めないとなーと悩むのですが、私はいつもその中で「ウィルキンソン」を選んでしまうのです。
「ウィルキンソン」、美味しいですよね。スッキリしていて、キレがあって、走った後には最高です。
さて、「好き」ということはエネルギーを生みます。
また好きなことを選んだり、好きなことをしている時間というのは、とても充実しますし、もっとこうしたい!というようなパワーを生みますし、彩りのある時間を与えてくれます。
しかし私もよくハマるのですが、「好き」で選んでいることが、時間とともに「惰性」や「執着」になってしまうことがあります。そうなってくると「好き」なことをやっているはずが、徐々に徐々に輝きを失い、苦しくなってきます。特に「執着」は苦しいですよね。
そうならないために、つねに「たくさんの商品が並んでいる棚に目を向け、それでもウィルキンソンを選ぶかどうか、問い続ける」ことは大事なことなのかもしれません。
それは時に周りの人の嗜好や、常識や、観念や、いろんなものが「それを選んだ方がいいよ、それしかないよ」と囁きかける中で、「ホントのとこ、自分の気持ちはどうなんだろう?」と問い続ける力強さが求められます。そうした問いかけは、選択肢を持つということでもあり、精神の自立と限りない自由の中での選択という恩恵を、私たちに与えてくれます。
「ウィルキンソン以外はダメ!異論は認めない!」は執着です。
「メッツコーラも、午後の紅茶も、ボルヴィックも、生茶もいいんだけれど、やっぱりウィルキンソンがいい」は好きです。選んでます。自由です。
ウィルキンソンさんでなくても、同じですね。
「ここの店は美味しいけれど、もっと他の美味しいお店もあるかもしれない」
「電車で通勤してもいいし、たまには運動のために自転車で通勤するのもいい」
「パートナーがいるととても幸せだけれども、一人でいても幸せ」
「晴れの日もいいけれど、雨の日も違った風景が見られていいな」
「私はこの会社でこの仕事でも頑張れるし、たとえ異動したり転職したりしても別の場所で輝ける」
ホントのところは何を求めてるのか問い続けること、執着ではなく選び続けるということは、そんな「どこでどうなっても、私は幸せ」という最強の恩恵をもたらしてくれるのかもしれません。
さてお客さまは今日は何を選びますでしょうか。
・・・左様でございますか、それはとても素晴らしいですね。
もしよろしければこのブログを選び続けて頂ければ、こんな幸いなことはありません。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。