大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。それでも、愛することを諦めきれないあなたへ。

七夕の夜にモエレ沼公園で不思議な体験をしたお話 〜根本理加さんのクリスタルボウルに寄せて

いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました。

昨日から根本裕幸さんの「札幌リトリートセミナー」について綴らせて頂いております。

昨日はセミナーの概略と根本さんのセッションについてでしたが、今日はその中で根本理加さんのクリスタルボウルの演奏に寄せて綴ってみたいと思います。

不思議な体験でしたので、どこまで言葉にできるかが不安ですが・・・

 

根本さんのリトリートセミナーの概略は昨日綴らせて頂いた通りなのだが、その中のハイライトの一つに根本さんの奥様の理加さんの演奏されるクリスタルボウルの音色があります。

今回の札幌では、3回もその演奏をお聴きする機会に恵まれました。

クリスタルボウルとは、その名のごとくクリスタル(=水晶)からつくられた、円筒形の楽器。

これを叩いたりこすったりすることで、優しい癒しの音色を演奏することができます。

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クリスタルボウルの音色を聴いていると、不思議と身体も頭も緩んでいくような感覚になります。

理加さんが冒頭で仰っておられましたが、私たちが思考パターンを変えようとしたり、あるいはガチガチになっている思考を緩めようとしても、「思考」で「思考」をコントロールしようとしがちで、なかなか難しいものがあります。

一方、このクリスタルボウルのように「思考」ではなくて「身体」からアプローチすると、結構簡単に緩んだりするそうです。

そんなクリスタルボウルですが、私が初めて理加さんの演奏を聴いたのは、1年半前に湘南で開催されたリトリートセミナーでした。

葉山の海岸で理加さんがクリスタルボウルを演奏されたのです。

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ごろんと横になって、波の音と風の音とクリスタルボウルの音色に耳を澄ませていたら、いつしか意識がぼんやりしてきて、起きているのか寝ているのかよく分からない不思議な感覚を覚えました。

ふわふわと何もない空間の中で、自分の身体が浮いている感覚。
ぼーっっとしているのだけれど、それでいてどこか意識の底でははっきりと覚醒しているような。

そんな不思議な体験。

それから私は、あのクリスタルボウルの音色を思い出しながら、ときどき瞑想するようになりました。

目を閉じてしばらく座っているだけで「あぁ、あれせんとあかん」、「そういえば、これはどうなったかな」と日々忙しく回っている頭の中の声が、不思議と休まるときがありました。

騒がしく雑念だらけの時も、もちろんありました。

そんなことを重ねていくうちに、また理加さんのクリスタルボウルを聴きたいと思うようになりました。

そんな中で、今回の札幌リトリートセミナーの概要が発表されたとき、モエレ沼公園とやらの「ガラスのピラミッド」で理加さんがクリスタルボウルの演奏をされると伺い、ぜひ今回聴いてみたい!と思ったのです。

 

その七夕の日の夕方、モエレ沼公園に到着しました。

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この日は夕方から大雨の予報でしたが、曇り空止まりで降らずにすみました。
まるで何かに祝福されているかのようだな、と思いながら、ピラミッドへ移動します。

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ピラミッドの中に入り、美味しいお弁当を食べていると、だんだんと日も暮れてきました。
一年で最も日の長いこの時期のこと、美しい夕暮れも見ることができました。

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どっぷりと日も落ちてきて、ピラミッドの周りを夕闇が支配しはじめます。

見上げると、ガラスのピラミッドの天井に、床のライトが反射して無数の星が瞬きしているようでした。

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演奏の準備がされていきます。
ライトに照らされたクリスタルボウルは、神々しささえも感じられます。

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そして、いよいよ演奏が始まります。
私はピラミッドの階段に腰掛け、体操座りになって目を閉じました。

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ピラミッドに響く、最初の音。

そのうねる音の波を浴びたかのように、背筋がゾクゾクと震えた。

次の音。そして、その次の音。

理加さんがどうやってこの音をつないでいるのか分からないが、全てが完璧な音の流れ。

そこに間違いも何もなく、全てはこのままの流れに委ねればいい。

音が鳴るたびに、なぜかほっとする。

 ああ、そうだよね、それでいいんだよね。

ピラミッドに響く、いくつもの音の波。
それらが重なったり、一つになったり、分かれたりしながら、確かな音の海を築いていく。

ふと気づくと、私は深く暗い海の底にいた。

ブクブクと気泡が海面に向かって上がっていく。

 ここはどこなんだろう。

周りは暗く何も見えず、なぜか身体を動かすのが億劫だった。

けれど、不思議と怖くはなかった。
どこか暖かく、どこか懐かしく、そしてどこか護られている。

 きっと、ずっとそうだったのだ。

気づけば、私の頬を涙が幾筋も伝っていた。

心地よいタイミングで響くクリスタルの音は、その海の底から私を呼んでいるようだった。

私は手を広げた仰向けのまま、その音の導く先に沈んでいった。

それは、まるでとてつもなく柔らかいベッドに包まれて、沈み込んでいくようだった。

その先にあったのは、心臓のイメージだった。

静かに、それでいてもドクドクと鼓動を刻む、心臓の音。

クリスタルの音は、心臓のビートだった。

 そこにあったのは、愛だった。

母親の胎内から、ずっと変わらず今日までパワフルにビートを刻み続けてきてくれた。

病気で最後の部活の試合出られなくて夕陽に泣いた日も、

祖父と一緒に家族で鍋を食べたあの遠い昔の週末の日も、
自分の身体の一部が引きちぎられるような悲しい風景を見たときも、
友達と笑いながら青い理想を語り合った日も、
暗いアパートの片隅で独り膝を抱えて自分を責めていた日も、

晴れの日も、雨の日も、曇りの日も。
暑い日も、寒い日も、風の強い日も。

いままで一秒たりとも、そのビートを刻むことを止めることはなかった。

 それはきっと、愛だった。
 いや、絶対的な愛そのものだった。

 今まで、愛してくれてありがとう。

 どんなときも、どんな私も、

    愛してくれて、ありがとう。

変わらずピラミッドの中には、優しい音色の波に包まれている。

急にリアルなイメージが、私の頭の中に浮かんだ。

実家で一人、夕食を摂っていた生前の母親の姿だった。
5人掛けの丸い茶色のテーブルで、一人お茶碗を持っていた。

当時学生だった私は東京で下宿していたので、その場面を直接見ることはできないはずなのに、それは妙にリアルな画像だった。

恐らく私が就職する前の時間。

父親が急に鬼籍に入り、がらんとした物音のしない実家の中で一人暮らしていた母親。

その母親の背中は、とても寂しそうだった。

 そうか、ずっと私は、

 母を救いたかったのだ。

 あの寂しそうな母を、

 きっと救いたかったのだ。

地元に戻って就職することを決めたのだが、帰省する直前で母親もまた鬼籍に入ってしまい、私の願いは叶うことがなかった。

 寂しい想いをさせて、ごめんなさい。

 できれることなら、

 一緒に住んで孝行の一つでも、したかった。

 それが叶わなくて、とても悲しい。

  寂しい想いをさせて、ごめんなさい。

 一緒にいられなくて、ごめんなさい。

ずっと、この罪悪感を抱えて来た気がした。

しばしの間、膝を抱えて流れる涙をそのままにしていた。

その間も、クリスタルボウルはピラミッドの中に響いていた。

それは、どこまでも優しく、どこまでも美しかった。

罪悪感も無力感も、寂しさも悲しさも、その音色に包まれていた。

消そうとも無くそうともしなくてよかった。

 ただ、そのままでよかった。
 ただ、あるがままでよかった。

「ありがとうございました。最後に少し、お遊びを」

そんなフレーズを理加さんがお話しされて、至福の時間は少し伸びた。

不思議と、これまでと少し違う色調の響きがピラミッドに響く。

私のイメージも不思議と変わり、また違う風景を見た。

眩い光の入り口に、母親は立っていた。
その横には、父親がいた。

二人とも、微かに笑っていた。
穏かな微笑みをたたえ、そこに立っていた。

 いつも、ここにいる。
 いつでも、ここにいる。

二人の穏やかな微笑みに、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの私も緩んだ笑みを浮かべてみる。

 すべては、それでよかった。

 何も無駄なものはないし、

 何も間違っていなかった。

見上げれば、夜空に

星々が浮かんでいた。

空に浮かぶ眩い星たちも、実は地上で輝く光の影なのかもしれない。

ふとそんなことを思いながら、私はピラミッドの天井を呆けた顔でしばらく見上げていた。

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七夕の夜に、そんな忘れられない不思議な体験をさせて頂きました。

理加さんをはじめ、そんな素敵な夜を演出してくださった皆様に重ねて御礼申し上げます。

ありがとうございました。