プロセスに価値を見ることができると、必要以上に自分を責めたり否定したりすることがなくなります。
それは、我が子や後輩を見守るような視点で、自分自身を見てみることでもあります。
1.「許そうとした自分」を愛する
先日の記事では、「許そうとした自分」を愛することからはじめよう、というテーマでお伝えしました。
許そうとした自分を愛することから、はじめよう。 - 大嵜直人のブログ
「許し」、そして「手放し」というテーマからのつながりでした。
誰かを手放そうとしたとき。
あるいは、誰かを許そうとしたとき。
どうしても、そうできないときがあります。
頭ではそうした方がいいと分かっていても、腹の底ではどうしても受け入れられなかったり。
たしかに、「許し」や「手放し」は、私たちの心に与えられた、素晴らしい力であり、希望です。
けれども、「よし、許そう!」と思って、すぐにできないことだって、ありますよね。
そうしたとき、「自分は、心が狭い人間なんだ…」とか、「手放せないのは、自分が執着深いからだよな…」とか、自分を責めたりしてしまうことがあります。
そうしたときに、何ら自分を責めることは、必要ないんです。
せっかく、「許し」や「手放し」という素晴らしい心のはたらきを知ったのに、それが理由で自分を苦しめてしまったら、意味がないですから。
「許そうとした自分」を、愛すること。
まずは、そこからはじめましょう、というのが昨日のテーマでした。
2.プロセスに価値を見る
「許そうとした自分」を、愛する。
それは、プロセスに価値を見る、ということです。
ものごとの結果の前には、なんらかのプロセスがあります。
もちろん結果は大事なのですが、それだけに価値を見ていると、どこか苦しくなります。
「結果はどうでもいい」と言いたいわけでは、ありません。
結果は、大切です。
それがあってこそ、受けとれるものも増えますし、結果が出てこそ見えてくるものもあります。
結果は、あくまで果実です。
それを得ることも重要ですが、それを得るまでのプロセスにも価値があります。
家庭菜園を考えてみると、分かりやすいかもしれません。
トマトを収穫しようとしたら、土壌をつくって、種を植えて、水をまいて…といったことがプロセスですよね。
もし、結果しか必要なければ、トマトを買ってくれば済む話です。
わざわざ時間と労力をかけて、トマトを育てるのは、そのプロセスが楽しいからですよね。
プロセスのなかでは、うまく芽が出なかったり、病気にかかったりして、うまく育たないことも、当然あります。
たとえそうだったとしても、
「大きくて美味しいトマトができなかったから、このプロセスは無駄で価値がないものだった」
とは、ならないのではないでしょうか。
そのプロセスのなかで、喜怒哀楽を味わうことができたら、それは十分に素晴らしいことだと思うのです。
たとえば、ビジネスの上では、結果しか意味がないかもしれません。
でも、その結果にしたって、いくつもの失敗や試行錯誤といったプロセスの上に、花咲くものです。
3.我が子や後輩を見守るように
プロセスに価値を見る、ということ。
それは、子育てや後輩の育成の経験がある方なら、なんとなく分かる部分があるのではないでしょうか。
我が子が、公園で逆上がりにチャレンジしている。
何度も何度も、鉄棒を握って、土を蹴って。
やってはみるのですが、なかなかうまくいかない。
やがて日が暮れて、今日は帰ろうか、となったとします。
「逆上がりができる」という結果は、出ませんでした。
悔しがる我が子に、あなたならどんな声をかけてあげたいでしょうか。
チャレンジしたことを、認めてあげるのではないでしょうか。
その声を、「許そう」「手放そう」とした自分自身に、かけてあげること。
それが、プロセスに価値を見る、という視点です。
どうしても、自分のことだと、厳しい目で見てしまいがちになります。
結果が出ないと、許せないと、手放せないと、認められない。
そんなときは、我が子や後輩を見守るような視点で、自分自身のプロセスを見てみると、少し見える風景が変わってくるのかもしれません。
今日は、我が子や後輩を見守るように、自分のプロセスに価値を見てみる、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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