10月も、後半になりました。
神無月の後半。
出雲に行かれていた神さまたちも、帰路についているころでしょうか。
時候では「霜降」。
朝晩の冷え込みが増し、北の方では霜が降り始めるころでもあります。
朝の風景を白く染める、霜。
水分が固まった氷の結晶なのですが、昔はこれが「空から降ってきたもの」と考えられていたそうです。
「霜が」「降る」から、「霜降」。
なんだか、その呼び名の方が、風情がありますよね。
七十二候でも、「霜始降(しもはじめてふる)」。
まさに、霜が降りはじめる時期だと教えてくれています。
霜は、「凍る」のか、それとも「降る」のか。
物理現象として見るなら、夜間の放射冷却により、空気中の水蒸気が細かい氷の結晶となり、周りのものにくっついてできる。
よく晴れた日の夜に冷え込むと、霜ができやすいのはそのせいといわれます。
それはそれで正しいのでしょう。
けれども、霜が「降る」と考えるのもまた、私たちの琴線に触れるようです。
だからこそ、「霜降」という言葉が、令和のいまでもこうして使われているのでしょう。
物理と空想、正解とロマン、伝統か革新か。
そのような分け方をしたいわけでは、ありません。
どちらも正しく、どちらが欠けても人は生きていけないように思いますから。
ただ、世界の見方として、「霜は降ってくるもの」という見方は、大切にしていたいなと思うのです。
それにしても、夜が長くなりました。
先日、19時過ぎに帰路についた日があったのですが、もうどっぷりと陽が暮れて、完全に道が夜の雰囲気でした。
冬至まで、まだもう少し陽が短くなります。
秋の夜長とは、よく言ったものだと思うのです。
長くなった夜の時間。
霜は降るのか、固まるのかを考えるのはほどほどにして笑、自分をねぎらい、やさしくする時間を持ちたいものです。
ずいぶんと気温も下がって参りました。
10月のおわりも、どうぞご自愛くださいませ。