ジュリア・キャメロン著「The Atrtist's Way(邦題:ずっとやりたかったことを、やりなさい。)」の実践ワーク4日目。
今日も早起きして「モーニング・ページ」を書くことができた。
継続する際の挫折ポイントで、かつ変化点といわれる「3」の日(3日、3週間、3ヶ月)の3日目をクリアできたことは自分を褒めたい。
週末になると、なぜか早起きになる息子と娘よりも早起きするのは、なかなか骨が折れるのだが、今日も続けられてよかった。
ちょうどモーニング・ページを書き終えて、パソコンでブログを書き始めたところで、娘が寝ぼけ眼で起きてきた。
キーボードを叩く私を見ておはようと言って、そのまま机でお絵かき帳に色塗りを始めた。
やはり、学ぶべきはこの小さなアーティストなのだろう。
それにしても、書いているといろんなことが浮かんでくる。
昨日感じた怒りや、喜びや、嬉しさや、果ては両親のことまで。
何も制限をつけずに書く、ということは実に不思議だ。
今日の最後には、「自分」という文字を何度も何度も書いた。
それが何の意味があるのか、意味などないのか、分からない。
ただ、そう書いた、というだけである。
引き続き、明日以降も続けていこう。
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さて、今日も第1章の中身から、少し引用していきたい。
創造性を回復するには、喜んで下手なアーティストにならなければならない。初心者であることを自分に許そう。いさぎよく下手なアーティストになることで、あなたは時間をかけて、よいアーティストになれるチャンスをつかむのである。
ワークショップでこの話をすると、即座に皮肉な答えが返ってくる。「でも、やっとまともな作品を『演じる』『書く』『描く』ことができるころ、私は何歳になっていると思います?」
その気持ちはよくわかる。
だが、作品を生み出せるようになろうがなるまいが、同じように年を取る。さあ、さっそく、はじめよう。
第1章「安心感を取り戻す」 p.48
そうなのだ。
やってもやらなくても、同じように年を取るのだ。
人生の最も普遍的な定理の一つは、時計の針を巻き戻すことはできない、ということだ。
もちろん、過去の辛かった経験や、悲しかった体験を癒すことはできる。
けれどもその癒すという行為は、これから体験していく未来の話しなのだ。
初心者であることを、下手であることを恐れて、一歩目を踏み出さずにいるよりも、その下手な姿をさらけ出して、成長していく物語を周りに見せた方がよっぽどいい。
そこで障害になるのが、「こんなことやっても仕方ない」「こんなものを見せても意味がない」というような自己否定の感情、思い込みである。
キャメロン氏は、そうした自己否定お思い込みを「検閲官」と表現している。
「私には才能なんてない」
「自由に自分を表現するなんて、ありえない」
「私には愛される価値なんてない」
「親しい人は私を裏切っていく」
などといった否定的な思い込み(心理学でいわれるところの「観念」「ルール」「ビリーフ」「前提」といったものであろう)を指すのであろう。
親や教師によって植えつけられたまま、ずっと放っておかれた否定的な思い込みは、強力な障害の土台になる可能性がある。したがって、それらを打ち消す肯定的な信念を、自分の中に培う必要がある。たとえばアーティストであっても、酒びたりにならずにしらふでいられるし、金銭的にもきちんとした生活ができる。孤独と苦悩に生きなければならないはずもなく、他人から親しまれ、幸福な生活だって送れる、という信念である。
何層にも折り重なった否定的な思い込みの皮を一枚ずつ剝いで行くと、かならず中核をなす思い込みに突き当たる。「アーティストになる夢を果たすには、他のいっさいの夢を捨てなければならない」という思い込みだ。
第1章「安心感を取り戻す」 p.50.51
結局、ここでも同じことが言われている。
私がここ数年、向き合ってきた内容だ。
というか強制的に向き合わされてきたとも言えるが・・・
自分を縛っている観念や思い込みとは何なのか、そしてそれは自分が望んだものなのか、自分を幸せにするものなのか。
もう一度、自己の内面に深く潜り、内省する時期のようである。
そのためにも、「モーニング・ページ」を続けてみようと思う。