ジュリア・キャメロン著「The Atrtist's Way(邦題:ずっとやりたかったことを、やりなさい。)」の実践ワーク7日目。
「モーニング・ページ」を書き始めて5日目。
ようやく1週間が経ったと思うと、なかなか感慨深い。
もう1週間という感覚と、まだ1週間という感覚と。
今日も早起きして3ページ、いろんなことを書き出してみた。
頭がクリアになっている気もするし、気のせいのような気もする。
まあ、何でも変化がでるまでに3日、3週間、3ヶ月という「3」のつく期間が大切というし、潜在意識が切り替わるまでに45日くらいはかかるというので、気長に続けてみよう。
ただ、こうして3ページほど、何も考えずに手を動かしていると、ブログを書くときも同じように書くようになったような気はする。
以前は書くことに構えて、いろいろ考えながら書いていたけれど、今はこうして「立ち聞き」に近い感覚で書くことができている。
間欠泉のように吹き出るものを何とか掬い取って書く書き方ではなく、滲み出てくるものをそのまま自然と書き留めるような。
この感覚が続くように願っている。
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今日も第1章の内容から、また少し。
自己否定と潜在的な思い込みについてだ。
才能をせき止められているほとんどのアーティストは、自分でも気づかずに「二つに一つ」の思考法にはまっている。それが自分と作品の間に立ちはだかるのだ。障害を取り除くには、まず、自分が「二つに一つ」の思考法にとらわれていることを認識しなければならない。「私は恋をして幸せになるか、アーティストになるか、二つに一つだ」「私は経済的に成功するか、アーティストになるかのいずれかだ」
実際はアーティストでありながら、恋にも恵まれることだってあるだろうし、経済的にも成功するということは十分に考えられる。
第1章「安心感を取り戻す」 p.51
人生は証拠探しの旅、とよく言われる。
人は自分が持っている「信念」「思い込み」「観念」などといったものに合ったものしか、目に入らない。
そして、目に映るその狭い世界の出来事を見て、その「思い込み」を強化していくのだ。
ほら、やっぱり自分からみんな離れていくんだ
なんだ、結局私は愛されないんだ
頑張ってちゃんと努力しないと誰にも認められない
世の中には、
人が離れていっても、それ以上に人が寄ってくる人もしるし、
実は何をしても愛されていたのかもしれないし、
認められなくても楽しく生きている人はいる。
そうした人は、目に入らないか、絶対に認めないかのどちらかなのだ。
同じDNAを持つ人間がしていることだから、できないわけがないのに。
その「思い込み」を明らかにしてくれるのが、「他人」であり「モーニング・ページ」なのだろう。
価値観の全く異なる人と接することは、自分の価値観を揺さぶり、「実はそうじゃないかも」と思わせてくれる。
「モーニング・ページ」も似たようなもので、実際に手を動かして文字にして書いたことで、自分が気づくことがあるような気がする。
これは、もう少し続けてみて、またここでレポートしたい。
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さて、第1週目の課題は「モーニング・ページ」以外にも、「アーティスト・デート」をしよう、タイムトラベルをして自分の創造性を妨げた怪物を見つけよう、というような課題がある。
気づけば第1章に取りかかって5日目なので、今夜あたりにこれらの課題にも取り組んでみようと思う。
なにしろ、断酒して夜は長いのだから。