大好きなThe Beatlesの名曲、「Let It Be」に寄せて。
リリースは1970年。
半世紀も前に書かれたその曲の響きは、いまも私の心を打つ。
以前も、そしてこれからも。
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親の聴いていた音楽というのは、その人の音楽的な嗜好に大きな影響を与えるように思う。
私の学生時代の友人は、両親がクラシックやオペラが大好きで、子守唄にヴェルディのオペラを聴いて育ったと言っていた。
やはり彼もまたクラシック音楽を好んで聴き、いい音色のヴァイオリンを弾いていた。
幼少期の心象風景には、いつもクラシックの名曲が流れていると言っていた。
私の両親もクラシックをよく聴いていたし、母親が市民楽団で第九を歌っていたこともあった。
けれども、いまはなき実家にあって心惹かれたのは、なぜかビートルズのLPレコードだった。
居間にオーディオセットがあって、その一番上がレコードのプレイヤーだった。
もう今ではカセットテープすら化石になってしまっているが、回転するレコードの上にそっと針を置いた瞬間に鳴る「プツッ」という音が懐かしい。
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中学生になって、自分の音楽を探し出したころに、よく聴いた。
姉がよく聴いていた「チャゲ&ASKA」は邦楽でよく聴いたが、いっぽうで中二病真っただ中だった私の「〇〇ってスゲーんだぜ!」と語ることのできる欲求を満たしてくれるのが、ビートルズだった。
それを自慢げに語るほどに自分に自信もなく、友だちも少なかった私は、ウォークマンで覚えたての英語が流れるその音楽を、学校の空き時間にひたすら繰り返し聴いていた。
歌詞を書き写しては、それを必死に訳してみたり。
いつも寂しがり屋の私のそばに、ビートルズの音楽がいた。
そして大人になって困難な問題を抱え、生きることに絶望したときにもこの曲をよく聴いた。
悲しい調べと、諦念のような静かな悟りと、ギターソロにいつも癒された。
少年が洋楽やロックンロールに憧れるのはいつの時代も同じだが、ビートルズがデビューしたとき、その音楽を聴いた当時の大人たちは眉をひそめたという。
ところがどっこい、半世紀も経ってみるとその眉をひそめた音楽はもう「古典」である。
世間や他人からの評価というのは、かくも移ろい、あてにならないものだと思う。
よい音楽は残っていくのだろう。
いや、聴く人が残していく、といった方がいいのだろうか。
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印象的なピアノのイントロ。
短調の物悲しい調べの中に、諦念とも言うべき静かな悟りを感じる。
ポール・マッカートニー氏の甘く切ない歌声。
やはり、この曲は悲しいときに聴くのが似合うような気がする。
どんな暗闇の中にいても、困難のなかにあっても、Let it Be.だと。
かたちを変え、言葉を変え、それを訴えてくれる。
誰しもが耳にしたことのあると思われる、印象的なサビ。
そのパートの言い回しが、もう大好きで大好きで。
There will be an answerのwill。
willの用法の中の「推量」や「未来」ではなくて、「意思」のwillとして使われているのかな、だとしたら素敵だな、と中二病の私はよく解釈してひとりごちていたことを思い出す。
その解釈は間違っていないように思う。
人の希望は、未来や推量にあるのではなく、「意思」にこそ宿るのだ。
2回目のサビの後のギターソロが、またカッコよくて。
これを弾いてみたくて、ギターを触ってみたりしていた。
いまでもカラオケなどで歌うとき、このギターソロの音階を口で歌っていい気分になったりしている。
星の見えない夜空もあれば、
夜明けまで照らしてくれる光もある。
夜空が暗いほどに、夜明けは明るく感じられる。
最後の一音まで、心に染みる音たち。
美しい調べ。
そして、夜は明ける。
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さて、あえてここまで訳してこなかった「Let it be」というこの言葉。
何と訳すのが一番適当なのか?
中二病の当時からずっと抱えていた大問題だった。
動詞「let」 は第5文型(SVOC)を取る。
第5文型を取る動詞は、どれも似たようなもので、「O=Cだ」という意味を取る。
とすると「it = be」となり、よく目にする「あるがまま」「なすがまま」という訳ができるのだろう。
けれども、中二病の私にとっては、どうにもこれらの訳がしっくりこなかった。
「やはり、「Let it be」は「Let it be」なのだ」
などと突っ張っていたが、最近になって、この訳が最適じゃないかと思う日本語を覚えた。
Let it Be = しゃあないやん
どうだろうか。
人類史上最高にヒットしたロックバンドとして、栄光も挫折も毀誉褒貶も、ありとあらゆるものを見てきた彼らが、最後に辿り着いた曲のタイトルが、
「しゃあないやん」
だとしたら、救われるような気がするのは、私だけだろうか。
しゃあないやん、暗闇も
しゃあないやん、問題も。
しゃあないやん、トラブルも。
しゃあないやん、私やもん。
それは、諦めでも絶望でも匙を投げるでもなく、自己受容の言葉。
そんな素敵な言葉を覚えられたのは、中二病のころから成長した、ということだろうか。
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なぜかLet It Beには夕暮れが良く似合う。
しゃあないやん、また明日。
そんな気持ちになるからだろうか。
これは大寒を前にした朝焼けの風景を撮った写真なのだけれど、
暴走したEVA参号機が歩いてきそうで気に入っている。
それはともかく、やはりLet It Beは名曲だ。
きっと、これからもずっと寂しがり屋の私のそばにいてくれる曲になるのだろう。