サイモン&ガーファンクル(Simon&Garfunkel)の「明日に架ける橋(原題:"Bridge Over Troubled Water")。
ビートルズ(The Beatles)の「レット・イット・ビー("Let It Be")。
あるいは、グリーン・デイ(Green Day)の「Good Riddance」。
いずれも音楽史に残る不朽の名曲だが、どこか、それらには似た雰囲気を感じる。
ピアノ、あるいはギターの静かなソロで始まるイントロは共通しているが、それ以上にどこか根底に流れる雰囲気、空気といったものが似ているように思う。
それは、何なのだろう。
「困難の上に架かる橋のように、この身を捧げよう」
このアルバムを最後に解散することになるポール・サイモンとアート・ガーファンクルの、どこまでも優しい歌声。
「聖母マリア様がやってきて、あるがまま」
数々の名声と、それにともなう葛藤を経てきた晩年のビートルズ、レノン=マッカートニーが至った境地。
「起きていることは全て正しい」
苛烈な生い立ちを経験してきたビリー・ジョー・アームストロングとマイク・ダーントが語る、その言葉。
どの曲も、根底に同じような境地といったものが、感じられるのだ。
それが何なのか、ここのところ考えている。
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確信。
いや、それも違う。
諦念、とでも呼ぶべきものだろうか。
それは、業火のごとき炎がすべての焼き尽くしたあと、ぼんやりの残る、オレンジ色の熾火のような。
もしくは、その横で鏡面のように月の光を反射する、湖の水面のような。
あるいは、濁流のように暴れる感情を、感じ尽した先にある、ほっとしたあの感じのような。
受容、あるいは、許し、愛そのもの。
そんなものを、感じる。
=
オアシス(Oasis)の「Whatever」も、その系譜にあるように感じる。
前述の3曲と同じように、静かなギターのソロから始まることもさることながら、どこか、静かな受容を感じるのだ。
「Whatever」の歌詞は、いたってシンプルで、それだけにメッセージ性が強い。
自由であれ。
正しさよりも、自由であれ。
あなたも、わたしも。
そのメッセージもそうなのだが、それ以上に前述の3曲と、似たような雰囲気を感じるのだ。
それは、諦念という名の希望であり、
いつまでも消えない希望であり、
どこか神性を帯びているようにも思える。
それは、
感情を燃やし尽くし、
情動のままに動き尽くし、
正しさにこだわり争い尽くし、
過ちを犯し尽くし、
間違い尽くし、
大丈夫じゃない環境で絶望し尽くし、
先の見えない暗闇を歩き尽し、
なんで助けてくれないんだと地団駄を踏み尽くし、
そうした、なまなましい生、
どろどろとした、汚泥のような生を、
味わい尽くした先に、ある境地のようにも思える。
燃え尽きた先、デッドゾーンにあるのは、希望である。
珠玉の名曲たちの根底に流れる雰囲気。
それはもしかしたら、静かな希望とでも呼ぶべきものかもしれない。