大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

名曲"Let It Be."に学ぶ、「無価値感」の癒し方。

「無価値感」とは、自分には愛される価値などない、という感情のことです。

それは私たちの根源的な怖れでもあるのですが、ここから抜け出すのは、やはり自分をそのままに受け入れることが重要です。

かの名曲と絡めて、それをお伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.無価値感や無意味感におそわれたら、天に助けを求めましょう

人生のさまざまなことに出会い、ときに、あまりにも深い喪失感や失望感を体験すると、たたきのめされてもう人生が終わってしまったように感じることがあります。

何かの目的を設定してようやくそこに到達したと思ったら、結果は予想とまるで違っていたかもしれません。

あるいは、すべてをかけてひとつの事業に打ちこんだのに、それをなしとげたとたん、すべてが無駄だったと思い知らされることもあるでしょう。

 

人生や自分自身に何の意味もない(無意味感)とか、自分には何の価値もない(無価値感)と感じるのは、じつは悟りにいたる価値の意識の状態です。

こうした状態を大きく打ち破るために必要なのは、天におけるあなたの価値や意味を問うことだけなのです。

 

無意味感というのは、もっとも苦しい体験のひとつです。

それは、あなたのエゴ(自我)とハイヤーセルフ(大いなる自己)との戦場なのです。

エゴはあなたに「この世のどこかに、かならず意味が見つかるはずだ」と叫び、また

ひとつの無駄な「聖戦」にあなたを駆りだそうとたくらみます。

 

けれども、天におけるあなたの意味を問うたとき、耳もとでは静かな声がささやくことでしょう。

「与えなさい」「愛しなさい」「幸せでいいんですよ」といった、いとも単純なことを。

それらの言葉は天の恩恵とともにやってきます。

そして、あなたが高いレベルの意識に進むのを妨害しようとする無意味感や無価値観を軽々と超越させてくれます。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.284

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2.無意味感、あるいは無価値観

今日のテーマは、「無価値感」でしょうか。

自己否定や自己嫌悪の極北ともいえる、しんどい感情ですが、あまりどんよりしないように書いてみたいと思います笑

「無価値感」とは、「罪悪感」と鏡合わせの心理

「無価値感」とは、自分には愛される価値などない、自分には生きる価値がない、という感情のことです

自己否定や自己嫌悪の、最たるものともいえます。

この「無価値感」ですが、「罪悪感」と鏡合わせの感情でもあります。

「私には愛される価値なんかない」が無価値感、
「私は罰せられるべき悪いことをした人間だ」が罪悪感です。

この二つの感情が原因で起こる問題は、よく似ています。

そのため、ある問題を片方から見れば「無価値感」の問題と見ることができますし、反対側から見れば「罪悪感」のストーリーと見ることができます。

となると、引き起こす問題の性質も似ています。

「罪悪感」とは、自分があたかも罪人であるかのように扱いますから、自分を幸せから遠ざける選択をしてしまいます。

「無価値感」もまた同じで、あまりにも自分がちっぽけで、必要とされている感覚がないゆえに、自分が欲しいものを否定していきます。

そうすると、現象面としては次のようなことが出てきます。

  • 成功や豊かさを遠ざける
  • 人から距離を置くような行動を取る
  • 自分の心地よさや、幸せを考えるのが苦手
  • 親密なパートナーシップを築くことができない
  • 自分の価値を証明するためにハードワークに走る

…はい、私にとっては実家のような安心感のある、これらの症状です笑

イヤですねぇ、ほんと。。。

引用文では「無意味感」という表現もありますが、こちらも「無価値感」と似ていますね。

「私が生きていることに、〇〇なんてない」

この〇〇に「価値」を入れるか、「意味」を入れるかの違いです。

そもそも、人の生に価値や意味はあるのか?

さて、そうして見ていくと、「そもそも人が生きることに、価値や意味なんてあるのだろうか?」という問いにぶち当たります。

有史以来、哲学や倫理学といったものが、問い続けてきた問いです。

すごく乱暴なまとめ方かもしれませんが、そこに「意味はない」と言い切ったのが、17世紀に生きたドイツの哲学者、ニーチェのように思います。

その上で、「だからこそ、自分で意味や価値を見出せる」、と。

今日の引用文では、生きることに意味を探すことは、エゴ(自我)の罠だ、と言っています。

エゴはあなたに「この世のどこかに、かならず意味が見つかるはずだ」と叫び、また

ひとつの無駄な「聖戦」にあなたを駆りだそうとたくらみます。

そんな文脈で見てみると、この箇所が、非常に味わい深く感じられます。

人生に意味や価値はあるのか、それとも、ないのか。

それはある意味で、一人一人が自分の答えを見つけるしかないのかもしれません。

私はといえば、やはり「価値がある」方に賭けてみたいと思うのです。

何もしなくても、何もできなくても。

人の生には価値がある。

ただ泣いている赤子を見ると、そんな情感を抱きます。

その感覚は、嘘ではないように思うからです。

 

さて、そうした哲学的な議題はさておき。

心理学における「無価値感」や「無意味感」を癒す鍵について、ここの最後にお伝えしたいと思います。

それは、「いま、あるがままの自分を受け入れること」です。

よくいわれる、自己肯定感を育むことといえます。

この「あるがまま」というのが、重要です。

たとえ欠けているところがあっても、足りないと感じることがあっても、そのままの自分を肯定する、ということ。

何かができるからとか、人より優れているから、という観点で、自分を受け入れるのではないわけです。

そうした形で自分を受け入れることが、「無価値感」のしんどい状況から抜け出す鍵になります。

3.真の知恵は、静かにささやかれる

名曲"Let It Be."より

引用文では、自分で意味を探すことをやめて、天に問いなさい、といいます。

こうした状態を大きく打ち破るために必要なのは、天におけるあなたの価値や意味を問うことだけなのです。

生きる意味や価値は、自分で見つけるのではなく、天から与えられるものだ、と。

そしてそれは、「無価値感」や「無意味感」に苛まれた、とてもしんどいときに、静かな声でささやかれる、と。

「与えなさい」「愛しなさい」「幸せでいいんですよ」といった、いとも単純なことを。

「与えなさい」「愛しなさい」「幸せでいいんですよ」

それは、ある種の天啓のような経験かもしれません。

けれども、そうした経験をされたことがある方は、「無意味感」や「無価値感」を抱えたことのある方なのかもしれません。

この部分を読んでいて、私が思い出すのは、かのビートルズの名曲、"Let It Be."の歌詞です。

When I find myself in times of trouble
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom
Let it be

僕が苦難の時
聖母マリアが現れ
知恵を授けてくれる
「あるがままを受け入れなさい」と

(中略)

Let it be, let it be
Let it be, let it be
Whisper words of wisdom
Let it be

あるがままを あるがままに
全てを受け容れるのです
それは知恵のささやき
「あるがままを受け入れなさい」

誰もが知る名曲ですが、その歌詞は非常に示唆的です。

「知恵」というものは、苦難にあるときに与えられるものである、ということ。

その「知恵」は、"whisper words"=ささやく言葉である、ということ。

そしてその「知恵」とは、"Let it be."=あるがままでいなさい、ということ。

これは、とても深い真実のように感じます。

先に触れたとおり、「無価値感」と「無意味感」の癒し方は、「あるがまま、そのままの自分自身を受け入れること」が第一歩です

そんなことを、この比類なき名曲は、教えてくれているのかもしれませんね。

 

今日は「無価値感」について、少し掘り下げてみました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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