昨年からTwitter(@naoto_oosaki) を触っているが、なかなか面白いものだ。
ネタでも何でも、「うまいこと書くなぁ」というツイートは感心してしまう。
Twitterのアカウントを持っていたおかげで、ウマフリさんへ寄稿させて頂くご縁にも恵まれた。
今日はそんなTwitterに寄てせ、つれづれを書いてみたい。
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日々ここで文章を書いているが、だいたい文字数にすると2,000字~3,000字の間くらいが多いように思う。
だいたいそれくらいが、書いていて心地よいようだ。
ところが、Twitterは140字だ。
長い文章と短い文章、どちらが難しいかと言われると、いまの私にとっては短い文章のような気がする。
言葉を尽くして説明するよりも、端的に簡潔な言葉で真理を突く方が難しい。
例えば、大寒を過ぎた今夜の満月。
この美しさを言葉を尽くして表現するよりも、短い言葉でする方に憧れる。
だからこそ、日本では和歌という文化が生まれたのだろうか。
そう考えると、140字という短文の投稿も、日本ではなじみやすいような気もする。
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とはいえ、こういうのは人によってどちらかに得意な方が偏るのだろう。
マラソンが得意な人は、短距離走が苦手だったりするように、
花火を打ち上げるのが得意な人は、その後始末が苦手だったりするし、
コツコツとブロックを積み上げられる人は、一気に瞬間最大風速を吹かせることはあまりやろうとしなかったり。
人によって、合う・合わないは当然あるように思う。
それだけに、何でもやってみればいいのだとも思う。
合っているなら、とことん続けてやってみればいい。
合っていなければ、 途中でやめてもいい。
そうすると、もしかしたら
短距離を走ることが楽しくて仕方なくて、
どうやったら走り続けられるか考えるようになったり、
マラソンを走ること以外に目が向かなくなって、
もう100mを走ってるように全力で集中できるようになったりするかもしれない。
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ということで、まあ日々140字と格闘している。
季節はずれの 桜のように
— 大嵜 直人🖋 (@naoto_oosaki) 2019年1月17日
冬に負けない 人になって
苦しい時こそ 根を張って
春を待たずに 咲き誇ろう
この季節に聴くのが染みるなぁ…人生の中にも季節がある。そして、冬に咲く桜もある。苦しい時こそ、根を張って。今日もありがとう。#明日へ向かう人
毎日聴いている大好きな半崎美子さんの歌への愛を綴ってみたり・・・
夢の種を外気に晒すと、ときに北風に晒されたり、冷たい雨に打たれたりすることもあるかもしれない。けれど多くの場合は暖かな日差しに見守られて、冷たい風雨も糧にしながら種は育っていくように思う。すぐにではないかもしれないけれど、必ずその種を温かく見守り、応援してくれる人が周りに現れる
— 大嵜 直人🖋 (@naoto_oosaki) 2019年1月15日
ちょっと青いことを朝からつぶやいてみたり・・・
人の縁というのは不思議なもので、人は生きている間にたくさんの人に出会い、別れる。
— 大嵜 直人🖋 (@naoto_oosaki) 2019年1月13日
別れはときに辛いものだけれども、ときに両の手に握りしめたものを手放すことでこそ、得られる出会いもあるのだろう。
そして、一度出会った人と人は本当に別れるということなど、実のところありえないのだろう。
ちょっとクサいことを朝からつぶやいてみたり・・・
まあ、そのあたりは結局ここで書いていることと同じだと、いまこれを書きながら気づいた。
そんなこんなだけれども、長文も140字もあわせて鍛えていきたいと思う。