「私、行ってきますよ」
いつになく強い私の主張は、めずらしくグダグダすることなくスンナリと通った。
おかげで、片道2時間半ほど離れた地での通夜に一人で参列することになった。
喪主に長くお世話になっている義理立てももちろんあったが、後から考えればここのところどうも一人になりたかったような気がしたのも、自分が参列すると主張した理由の一つだったのだろう。
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その日の仕事を切り上げ、早めに出たつもりだったが、道中の雨で道は混んでいた。
湾岸沿いの高速道路に乗ると、さらに雨は強くなり、視界は悪くなった。
普段は、先を急ぎ車線変更する車が行き交う片側三車線の大きな道路も、今日に限っては皆大人しく隊列を組んで走る。
私の運転する左車線は70キロを切るくらい、それからすると真ん中は90キロくらい、右の追越車線はもう少し出ているだろうか。
行儀よく組まれた隊列は、その形を崩すことなく港の赤い橋を渡っていく。
その隊列を眺めていると、さながら砂漠を行くキャラバンのように感じる。
この大雨の中、砂漠というのもおかしな話だが。
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遅くなるけど、一人で悪いな、と出がけに声を掛けられたが、私はむしろ同行者のいないことに感謝していた。
人には、一人になる時間が要る。
それは私が男性だから、なのか、それとも人類共通の資質なのか。
それは分からないが、思いがけず与えられた往復5時間の孤独を、私は有り難く受け取った。
一人になれる時間。
ドライブの時間は、それにうってつけだ。
空間的に密閉されているし、強制的に電話なりメッセージなりといったコミュニケーションから解放されるし、運転という適度なストレスにより余計なことを考えることから逃れられる。
そう遠くない将来、自動運転が当たり前の世の中になったら、一人になりたい男性はどこへ向かうのだろう。
やはりこちらが話したいときにだけ話し掛けてくれるマスターのいるバーのカウンターなのだろうか。
部屋に露天風呂のついた温泉宿なのだろうか。
あるいは、禅寺なのだろうか。
要らぬ未来の心配をしながら、私は今日は水平線の見えない海の彼方に目線を遣った。
霧が、煙っていた。
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道中の時間とは裏腹に、短い滞在時間だった。
田舎だからなのか、通夜でもほとんどの方が礼服を着ており、黒のスーツに紺のネクタイを締めた私の色は、その黒い群れから浮いていた。
礼服を着てこなかったことに少し後悔したが、会場を後にするときには忘れることにした。
出口で、喪主と二言、三言挨拶を交わした。
私の顔を見かけると、少し緊張が緩んだような顔をされていた。
義理立てだろうと何だろうと、その顔を見て、ここに来てよかったと思った。
自分が喪主のときは、どうだったのだろうか。
ふと思い出そうとして、私はその思考を切った。
やはり、礼服の黒さの群れは苦手だ。
そして、こういう場で参列者同士がする会話も、あまり聞きたくない。
そそくさと私は雨を避けるふりをして、小走りで駐車場まで戻った。
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夜中の伊勢道は、他に走る車両がほとんどなかった。
雨に煙る道路を、私の車のライトだけが照らしていた。
どこか異世界につながっているような感覚を覚えた。
コーヒーを買おうと思い、一つ目のパーキングエリアに寄った。
車は数えるほどしか停まっておらず、街灯の大きな光が、どこか人魂のように見えた。
揺蕩っているようにも、見えた。
ためらっているようにも、見えた。
微糖と書かれた缶コーヒーをホルダーに差し、再び伊勢道を一人走り出した。
一筋の涙が、頬を伝った。
やはり、昔を思い出して悲しかったんだな、と思った。
いや、思い出したかったんだな、今日というタイミングで。
やはり人には、一人になる時間が、必要なようだ。