大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

感想を頂くために必要なこと。

感想を頂くために必要なこと。

それは、感想をたくさん送ること。

感想を送ることで、自分は何に反応し、何に心動かされ、どのように感動したのかが明確になる。

感想を書くとは、ぼんやりして形の曖昧だったそれに、確かな輪郭を与えるようだ。

その積み重ねは、感想を書きたくなるような己の表現力になる。

そして、与えるほどに、受け取れるようになるようだ。

何かを書いたり、作ったり、表現したり。

そうしたときに、やはり何よりも嬉しいのは、感想を頂くことだ。

こと自分に置き換えてみても、感想を送るというのはエネルギーが要る。

何かに触れたことで、ぼんやりと自分の中に湧いてきたものを、「言葉」という形にするということは、とてもエネルギーを使うし、時間や労力のかかるもの。

それだけに、その障壁を超えて書かれた感想を頂けるというのは、もの書き、あるいは表現者にとって無上の喜びなのだろう。

もちろん、それに触れる人の数が増えれば増えるほど、そして己の深い内面に潜った表現をすればするほど、感想に好意的なもの増えるし、批判的なものも増えるのだろう。

著名なアーティストほど、心無い中傷に遭ったりもする。

けれど、いずれの極のそれも、自分の書いたものや表現したものが、波紋のように広がって、誰かの心に共鳴したことから起こるの。

だとしたら、やはり根底の部分で「自分が何を大切にしていて、何を伝えたいか」ということが求められるのだろう。

その根っこが明確であればこそ、批判は甘んじて受け入れ明日の糧にして、中傷にはそれに屈することなく、表現することを続けられるのだろう。

逆説的なこの世の真理として。

何かを求めるならば、その何かを与えることが、最も近道だ。

つながりを求める人ほど、他人につながりを与えられる。

温かい家庭に恵まれなかった人ほど、ホームメイカーの才能を持つ。

愛情に飢えた人ほど、無償の愛を与えられる。

お金に困窮したことのある人ほど、人に豊かさを与えらえる。

「そう見える」ことの裏側に、真実の欠片は転がっている。

そうして与えているうちに、いつしか求めていたものを受け取っていることに気づくのだ。

日本の商慣習においては「後払い」もあるのだろうが、人生の真理は全て「先払い」だ。

先に与えてこそ、受け取れる。

そしてその与えることのできるものとは、自分が最も足りないと思い、飢えていて、求めているものなのだ。

かくも不思議な、世の逆説よ。

だからというわけでもないが、感想を送るようにしている。

美味しい料理をいただいたお店の店主や、

お会いして話を聞いた方や、

心動かされたブログの著者や、

感銘を受けた本の著者や…

ときに手紙で。

ときにメールで。

ときにブログで。

ときにSNSで。

いまは便利な時代で、感想を伝えるのにいろんな手段がある。

そして、感想を書こうとすると、「どの部分が」「どのように」「どうして」己の心に残ったのか、必然的に自問することになる。

その積み重ねは、己の大切なものを研ぎ澄ませていく時間となる。

感想を書くというのは、その相手のためというよりも、自分のためという側面が強い。

情けは人のためならず、と同じようなものか。

ということで、ここまでは長い長い前フリで、今日は当ブログの2周年に際して、ありがたいことにお祝いのお手紙やメッセージ、電報を頂いたことをご報告したかった。

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いまは電報にもいろんな種類があるようで、声真似をしてくれる「くまモン」のぬいぐるみとともに。

ありがたい限りで、2年間毎日エントリーを更新し続けてよかったと感じる。

メッセージや感想を頂いた方に、あらためて深く御礼申しあげます。

ありがとうございます。

これからも、書き続けます。