感想を頂くために必要なこと。
それは、感想をたくさん送ること。
感想を送ることで、自分は何に反応し、何に心動かされ、どのように感動したのかが明確になる。
感想を書くとは、ぼんやりして形の曖昧だったそれに、確かな輪郭を与えるようだ。
その積み重ねは、感想を書きたくなるような己の表現力になる。
そして、与えるほどに、受け取れるようになるようだ。
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何かを書いたり、作ったり、表現したり。
そうしたときに、やはり何よりも嬉しいのは、感想を頂くことだ。
こと自分に置き換えてみても、感想を送るというのはエネルギーが要る。
何かに触れたことで、ぼんやりと自分の中に湧いてきたものを、「言葉」という形にするということは、とてもエネルギーを使うし、時間や労力のかかるもの。
それだけに、その障壁を超えて書かれた感想を頂けるというのは、もの書き、あるいは表現者にとって無上の喜びなのだろう。
もちろん、それに触れる人の数が増えれば増えるほど、そして己の深い内面に潜った表現をすればするほど、感想に好意的なもの増えるし、批判的なものも増えるのだろう。
著名なアーティストほど、心無い中傷に遭ったりもする。
けれど、いずれの極のそれも、自分の書いたものや表現したものが、波紋のように広がって、誰かの心に共鳴したことから起こるの。
だとしたら、やはり根底の部分で「自分が何を大切にしていて、何を伝えたいか」ということが求められるのだろう。
その根っこが明確であればこそ、批判は甘んじて受け入れ明日の糧にして、中傷にはそれに屈することなく、表現することを続けられるのだろう。
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逆説的なこの世の真理として。
何かを求めるならば、その何かを与えることが、最も近道だ。
つながりを求める人ほど、他人につながりを与えられる。
温かい家庭に恵まれなかった人ほど、ホームメイカーの才能を持つ。
愛情に飢えた人ほど、無償の愛を与えられる。
お金に困窮したことのある人ほど、人に豊かさを与えらえる。
「そう見える」ことの裏側に、真実の欠片は転がっている。
そうして与えているうちに、いつしか求めていたものを受け取っていることに気づくのだ。
日本の商慣習においては「後払い」もあるのだろうが、人生の真理は全て「先払い」だ。
先に与えてこそ、受け取れる。
そしてその与えることのできるものとは、自分が最も足りないと思い、飢えていて、求めているものなのだ。
かくも不思議な、世の逆説よ。
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だからというわけでもないが、感想を送るようにしている。
美味しい料理をいただいたお店の店主や、
お会いして話を聞いた方や、
心動かされたブログの著者や、
感銘を受けた本の著者や…
ときに手紙で。
ときにメールで。
ときにブログで。
ときにSNSで。
いまは便利な時代で、感想を伝えるのにいろんな手段がある。
そして、感想を書こうとすると、「どの部分が」「どのように」「どうして」己の心に残ったのか、必然的に自問することになる。
その積み重ねは、己の大切なものを研ぎ澄ませていく時間となる。
感想を書くというのは、その相手のためというよりも、自分のためという側面が強い。
情けは人のためならず、と同じようなものか。
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ということで、ここまでは長い長い前フリで、今日は当ブログの2周年に際して、ありがたいことにお祝いのお手紙やメッセージ、電報を頂いたことをご報告したかった。
いまは電報にもいろんな種類があるようで、声真似をしてくれる「くまモン」のぬいぐるみとともに。
ありがたい限りで、2年間毎日エントリーを更新し続けてよかったと感じる。
メッセージや感想を頂いた方に、あらためて深く御礼申しあげます。
ありがとうございます。
これからも、書き続けます。