「もしもし」
「…」
「もしもーし」
「…」
「ゴルァ!!!」
「…」
「ふーん、あっそう…(ゴソゴソ)…あぁ、やっぱりふたばの豆餅は美味いなぁ…この塩味の効いた豆の食感とふわふわもちもちの白く輝く皮…そして舌触りなめらかなこし餡のハーモニー…もう一個食べちゃおっと」
「ナニ?ふたば?どこにあるんですか?アタシのは?」
「ったく、気付いてるんなら返事しろよ。堂々とスマホゲームして、いつか気付かれて怒られるぞ」
「大丈夫ですよ、スマホいじってても、周りの人はゲームしてるか仕事してるかなんて、気にしちゃいないですよ。でも、やめようと思えば、いつでもやめれますから。ただ、今週は特別なんですよ。イベント開催中に加えて、ログインボーナスも入るんで、気合入ってて」
「…ったく、『今日は特別』とか、まんま依存症患者の台詞じゃねえか」
「差し出がましいようですが、依存に対する考え方が古いかと。いまや、どの業界も『健全な依存症』に支えられていると言えます」
「ほぇ、『健全な依存症』…か、確かに言い得て妙だな」
「どうでもいいですけど、豆餅もらいますね…あぁ、やっぱり美味しいですねぇ…でも、これも甘味という味覚の依存症とも言えますし」
「そんなもんかね」
「そうですよ。お酒、タバコ、ドラッグ、甘味などの嗜好品に限らず、ネットショッピングやスマホゲーム、SNS…いまやあらゆる行動が依存症になるように設計されてますし、人間工学とかをベースに作られてますから、それに抵抗なんでできないですよ」
「怖いこと言うなぁ」
「結局、アタシは何かに依存しないと生きていけないのかも。でも、誰しもそうなのかも」
「なんか、その台詞になると、とたんに怖くなくなるのはなぜだろう」
「人生の多くは依存症で成り立ってますし、『依存症でなければ死ぬ』とさえまで言う研究者もいるそうですよ。その対象が、社会的に称賛されるものかどうかって違いはあると思いますけど。研究やスポーツにしたって、依存症の人はいるんじゃないですか?」
「うーん、そう考えると、恐ろしいな…」
「いやぁ、抗えないですよ、実際。その上、最近は『目標依存症』なんてのがいろんなビジネスに取り入れられちゃってますし」
「ほう、『目標依存症』とは?」
「ええ、ごく単純に言うと、ラーメン屋のスタンプカードを持つと、それを埋める目標に依存するってことです」
「そう聞くと、なんだか古い手法のように聞こえるが」
「それが、運動、ゲーム、歩数、消費カロリー…スマホと連動することで、あらゆる行動に目標が設定され、それを達成することに夢中になるように設計されてますよね」
「あぁ、最近いろんなアプリやら何やらがあって、コレクター魂が刺激されることが多いなぁ」
「目標達成に夢中になるのは、依存症と同じ神経が刺激されるかららしいですよ」
「えぇ…そうなの?結構衝撃だな…」
「目標を達成するまでは、それを達成することに依存して、達成できたとしても次に目標を設定しないと喪失感でいっぱいになる…成功しても失敗しても出口のない、無限回廊ですよね、これって」
「うぅ…当てはまるフシがありすぎる」
「ね、結局依存して生きるしかないんですよ、いまのご時世」
「うーん、目標ではなく、何かを積み上げていく生き方ができないもんかね。長い目で見て、自分の幸せにつながるような」
「どうなんでしょうね。難しいですよね、実際それは。アタシは諦めて、流されることにしてます。
『なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ』
ですよ」
「閑吟集か、渋いな。なんかいいように解釈しているような気もするが、まあいいか。俺は積み上げていく日々がいいな」
「いいですね、それも。アタシは流れ流れて、流されることにしてます。だって、この目の前の豆餅の美味しさを味わわなくて、何が幸せかなんて、わかりゃしませんよ。パク」
「あぁ!いつの間にかなくなってるじゃねえか!なんで5個入りを買って来て、1個しか食べてないのに、もうなくなるんだよ!」
「ね、依存症って怖いですね、ほんと」