大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

ダイヤルアップ接続の思い出と、コミュニケーションについて。

私が学生時代の頃というと、もう20年以上も昔になるのだろうか。

当時、携帯電話が普及し始め、皆がポケベルを卒業してEメールを使い始めた。
メールという非同期コミュニケーションは、ことのほか便利で、すぐに誰もが当たり前のように使い始めた。
それと同時に、インターネットの黎明期であり、パソコンを使ったさまざまなサービスが生まれ始めていた。

それによって、コミュニケーションの形も、ずいぶんと変わっていった気がする。

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当時の私は、関東に下宿していたため、年末年始は実家に帰省していた。

友人の多くは、実家が関東で帰省することもなかったため、その時期はどうも疎外感があった。
そんな折、パソコンとインターネットに詳しい友人が開設していたホームページにあった「チャットルーム」で文字ベースの会話ができると聞いて、実家にあったパソコンをいじるようになった。
パソコンを介してコミュニケーションを取ることが面白く、夜な夜なチャットルームにつないでいたことを思い出す。
速く書き込むため、ブラインドタッチを習得しようと頑張ってみたりしていた気がする。

当時は、電話回線を使ったダイヤルアップ接続。
インターネット回線に接続するだけでも、「ピーガリガリガリ…」という音からはじまり、数分経たないとつなげない代物。
Yahoo!のトップページを開くだけで、ずいぶんと待たされたように覚えている。

電話回線を使うので、つないだ時間分の料金がかかる。
実家は月に〇時間で〇〇円という時間制の契約をしていたため、その時間を超えないか、ヒヤヒヤしながらつないでいたものだ。

そのチャットルームで話していた話題は、何ということもない、とりとめもない話題なのだが、それがなぜあんなに面白かったのだろう。
また学校が始まって実家から戻ると、チャットルームにはとんと顔を出さなくなった気がするから、やはり違ったコミュニケーションツールが面白かったのだろうか。

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考えてみれば、人間のコミュニケーションツールも、進化してきたものだ。

文字のなかった時代は、どうしていたのだろう。
やはり何か貴重な物品を贈ることで、自分の気持ちを代弁したのだろうか。
あるいは、洞窟の壁画に絵を描くことで、何かを表現していたのだろうか。

やがて人は紙と文字を得たことで、手紙ができた。
自分の胸の内を文字に乗せ、手紙に託す。
時間差のあるコミュニケーションが、可能になった。
平安の昔、想いを歌に寄せて、贈りあったコミュニケーションの形もあろう。

そして電話が発明され、物理的な距離を越える同期コミュニケーションが可能になった。
遠く離れた土地の誰かとつながるとは、考えてみればすごいことだ。
それ以前の人からすると、テレパシーのごとき超能力のようなものに感じられるのだろう。

そして、インターネットである。
距離を越えて、瞬時に、多くの人と、時に画像を通じて、つながることができるようになった。

子どものころ好きだった漫画の「ドラえもん」に、未来人がテレビ電話を使っていたシーンが出てきて、遠く離れた相手の顔を見ながら会話ができることにワクワクしたが、いまでは普通のコミュニケーションツールになってしまった。

あらためて、すごい時代になったものだと思う。

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変遷していくコミュニケーションツール。
それは、人と人のコミュニケーションのありようも、変えていくのだろうか。

何で伝えるか、手段はいくらでも選べる時代。

そうしたときにやはり重要になるのは、「誰に」「何を」伝えるか、になるだろうか。

誰かに何かを伝えることがコミュニケーションとするならば。
人は、命と同義の時間を使って、何を伝えるのだろう。
それを突き詰めていくと、究極のところは4つに集約されると聞く。

「ありがとう」
「ごめんなさい」
「助けてください」
「愛しています」

もし、いつの日か。
この世界を去るときがやってきて。
何か一言を残していくとするなら。

その一言は、何になるのだろう。

やはり、「ありがとう」なのだろうか。