立夏、夏立てる日。
運ばれてくる空気は、どこか熱量を帯びたような色をしてきた。
足元に見る花は、原色のように鮮やかな色が多くなった。
名も知らない小さな虫を、よく見かけるようになった。
あふれるような生命力の季節、太陽の季節。
そんな夏は、私の最も好きな季節だった。
私が好きな夏のイメージは、7月の終わりの盛夏のころ。
一学期の終業式が終わり、アサガオの鉢植えを持って帰るとき、見上げた青空から降り注ぐプリズム。
その虹色が夏の象徴のようだ。
どこまでも自由で、どこまでも満ちあふれていて。
もう一つは、お盆前後の残暑のころ。
それは、暦の上でいえば、秋と呼ぶものかもしれない。
けれど、ツクツクボウシが鳴き始め、夕暮れどきの暑さにほんのわずかな陰りを感じ、終わりを意識しだす情感が、夏らしく感じる。
終わりがあることの美しさを、夏に感じてしまうのかもしれない。
けれど、いわゆる暦の上の夏と、私が好きな夏の間には、やはり乖離がある。
されど、暦の上の夏とは、新緑の心地よい季節である。
木々の緑は美しく映え、生命力があふれる時期。
歳を重ねるごとに、何かの「走り」を見ると、ありがたいと感じるようになった。
今年も、春がやってきてくれるのか、という情感。
あるいは、大好きな夏の訪いを、わずかに感じる時期。
それが、ありがたく、また心地よく感じる。
上に挙げた盛夏や、お盆過ぎの時候が好きなのは変わらないが、それでも夏がわずかに感じられるころの時候もまた、好きな季節になってきた。
それは、単に過ごしやすいという理由からだけでは、ないように思う。
若かりし頃、夏の終わりに想いを馳せ。
歳を重ねると、夏の走りに想いを寄せ。
なんとも、人の趣向とは不思議なものだ。
夏を感じさせる色が、多くなってきた。