早いもので、もう時候は「啓蟄」を迎えました。
地中で眠っていた生きものたちが目覚め、土の外に出てくるころ。
小さな虫から、熊などの大きな生きものまで、冬眠から目を覚まして、春の空気に触れる時候です。
七十二侯でも、そのまま「蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)」。
虫に限らず多くの生き物たちが、暖かな春の陽気に誘われて、日差しを浴びに出てくるころです。
人もまた同じで、暖かくなる気温に心もゆるんで、お出かけをしたくなる時期でもありますね。
「好きな季節は、どの季節ですか」
そんな問いがあったら、これをお読みのあなたは、どの季節と答えますでしょうか。
この暖かな陽気の春でしょうか。
それとも、穏やかに季節が深まる秋でしょうか。
あるいは、生まれた季節でしょうか。
私自身は、夏に生まれましたので、やはり夏に惹かれます。
寒いよりも、暑い方が苦にならない、というか。
しかし、最近は冬の凛とした寒さの中に、春の気配を見つけることにも、喜びを感じるようにもなりました。
年を取った重ねた、ということですかね笑
けれども「春」というのは、好きな季節の選択肢にあまり入らないのですよね。
不思議なのですが。
暑くもなく、寒くもなく。
ぽかぽかといい陽気で過ごしやすく、好かれる理由はたくさんあるのに。
なぜか、そこには惹かれないのです。
だからといって、どうもこうもないのですが。
訪れる春の麗らかな陽気よりも、どこか去っていくものの方に、私の心は惹かれるようです。
春。卒業、あるいは、別れ。
新しいことが始まる季節ということは、古いものが去っていく季節でもあります。
新しい春が訪れることは同時に、過ぎ去っていく季節もあり。
そして過ぎ去っていくものは、二度と戻らない。
それが、どこか切なく、どこか悲しく。
夏の終わりでも、それは同じことなのでしょうけれども、ただ「春」の訪れてとはまた少し違うのですよね。
誰もが訪れるのを待っている、春。
それだけに、春が訪れると、失くしてしまうものもまた、たくさんあるような気がして。
それが、「春が好き!」とストレートに言えない感覚の一つなのかもしれません。
それは、もうどこか、私という個のアイデンティティにも近い気はします。
どちらがいいとか、悪いとかいう話でもありません。
訪れる春の麗らかさを、喜ぶことのできる感覚。
過ぎ行く季節の風景を、つなぎとめておきたい感覚。
そのどちらもが、春の美しさに惹かれていることには、変わりはないのでしょう。
そう書いていると、私は「春」も好きなのかもしれません。