時に秋分。
昼と夜が同じ長さになる特異点を過ぎると、ほんの少しずつ、夜の時間の方が長くなっていきます。
「暑さ、寒さも彼岸まで」の言葉の通り、もう夏の暑さはどこにもなく、空気が澄んで秋の清々しさが感じられるようになりました。
あるいは雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)。
夏の間に、たびたび現れていた雷さまが声をおさめ、気持ちのいい秋晴れが見えてくる時候です。
秋は空が高くなるといいますが、透き通った空を見上げることは、秋の喜びの一つだと感じます。
道ゆく花もまた、秋の色を帯びてきたようです。
夏の間に咲いていた花に見えた、生命力と力強さ、それとあわせた儚さは、どこかへ霧散したようで。
それに代わって、成熟さと静けさが、秋の花には感じられます。
あるいは、どこか諦念めいたものも、感じられるようです。
時に、人生を季節に例えることがありますが、実りの秋は人生の後半になぞらえることが多いようです。
その終わりに想いを馳せ、あらためて、一日一日を愛でる。
豊かさとは、諦念の裏返しなのかもしれません。
そんな情感を味わうのも、季節の移ろいを愛でる楽しみのようです。
そんな中で、ひっそりと彼岸花が。
お彼岸も終わり、まるで役目を終えたように、しおれていました。
時が満ちれば咲き、時が過ぎれば散り。
どこまでも律義にそのサイクルを続ける花を、しばらく見つめていました。
今年の彼岸花は、どこか心の奥底をじわりと染めるような、そんな赤い色をしていました。
また、来年のお彼岸に逢えることを、たのしみに。
私はいつも、次のことを思い描くことで、さよならを言わないようにしているようです。
そんな私のそばを、ぶぅん、とアシナガバチが飛んで行きました。