大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

薫る風に記憶を重ねて。

最も、気持ちのいい季節になった。
春というよりも、もう夏といった方がしっくりくる。
事実、明日にはもう立夏だ。

歳を重ねるごとに、季節がめぐりゆくのが愛おしくなる。
何度もめぐってきた季節だけれども、いま目の前の風景は二度と戻らないと思うと、どうにも愛おしくなる。

外に出るだけで心地のよいこの季節。
時候では、風が薫ると表現する。
その言葉を意識したのは、いつごろからだっただろうと思う。

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学生時代、下宿して間もないころ。
実家を離れての一人暮らし、学校生活に少し慣れてきた5月。
祖母から一人暮らしをしていた下宿先に、手紙が届いた。
「風薫る5月になりましたが、元気でやっていますか」
そんなような、書き出しだったように思う。

風が薫る。
美しいことばだと思った。

それまでに、何度もその言葉を目にしたことはあったのだろうけれど。
それでも、自分事として起こらないと、人は理解できないし、腑に落ちないものだ。
机上の理論や説法が、どこか浮ついたように感じるのは、そのせいかもしれない。

風、薫る。
どこか、その言葉が頭に残った。

当時通っていた校舎は、駅の改札を出てすぐ右手側にあった。
不精な私にとっては、ありがたかった。

横断歩道を渡ると、すぐに校舎の敷地内。
車道を挟んで、まっすぐな銀杏並木が続いていた。

当時、私は土曜日の授業を取っていた。
好きこのんで土曜日に授業を入れる学生は少数派だったが、なぜ自分が土曜日の授業を取ったのか、よく分からない。

けれど、人の少ない土曜日の雰囲気は、どこか好きだった。
サークル活動に精を出す人、図書館に行く人、誰か待ち合わせをしている人…どこか土曜日の空気は緩んでいて、楽しそうで。
それが、好きだった。

小学生のころ、まだ土曜日は半日授業があった。
給食なしで、4限の授業までやって、分団で帰る。

週休二日が当たり前のいまからすると、小学生からハードワークのような気もするが、当時は土曜日のワクワク感といったら、なかなかのものだった。

私は両親ともに働いていたので、祖母の家でいつも昼食を摂らせてもらった。
チャーハンか、焼きそばが、土曜日の昼の定番メニューだった。

足早に帰って、その定番を食べて、さあこれから何をして遊ぼうか。
そんなことを思い出すから、土曜日の授業が好きだったのだろうか。

祖母から手紙をもらった、そんな5月のある土曜日。
いつもよりずっと人の少ない改札を通って、横断歩道の信号を待っていた。
眼前に見える銀杏並木は、青々と新緑の季節を喜んでいた。

やがて信号が青に替わり、それを告げる電子音が鳴った。
ひゅう、と風が吹いた。
その風は、後ろからやってきて、眼前の銀杏並木の間を吹き抜けていった。
それは確かに、薫る風だった。

銀杏並木を見上げながら、私は横断歩道を渡った。
人の少ない土曜日のキャンパスは、やはりいつもとは違って、ゆっくりとした時間が流れていた。
並木の下から、銀杏を見上げた。

もう一度、あのひゅう、とした風が吹かないだろうか、と考えていた。
ある、5月の土曜日の想い出。

5月は、風が薫る月。
それが自分事として、体感できたような気がした思い出に、いまの景色を重ねる。

ほんとうに、気持ちのいい季節になった。

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