昨日に続いて、自分が望んでいない相手の行動に対して、どう向き合うかというテーマです。
その行動よりも、相手の存在を愛する、という視点をお伝えします。
1.望まない相手の行動について
昨日の記事では、「自分が望まない相手の行動に対して、どう向き合うか」というテーマでお伝えしました。
自分が望んでいない相手の行動に対して、どう向き合うか。 - 大嵜直人のブログ
「NO」を言う強さと、言わない強さ、そして「感情的理解」という視点から、このテーマを見てみました。
今日は、少し違った視点から見てみたいと思います。
自分にとって大切な人が、自分の望まない行動をしてくることがあります。
パートナーの浮気問題しかり、子どもの非行や、あるいは友人があやしげなビジネスにのめりこんだり。
明らかに理はこちら側にあり、おかしいのは相手だから、やめさせないといけない。
そう感じて「NO」を伝えても、相手がやめるかどうかは、別問題だったりします。
というか、「NO」を伝えて、「わかりました!」とやめる相手であれば、問題にならないのでしょう。
問題になるのは、相手もまた信じているものがある、ということです。
自分の大切にしているものを否定されるからこそ、ムキになったりもします。
というか、人は自分がやりたいことをやるようになっていくものだし、それを他人がどうこうすることは、難しいとも言えます。
とはいえ、自分にとっておかしいと感じること、望まない行動を、相手が取り続けることに対して、「NO」を抱え込むことは、想像以上にしんどいものです。
「NO」を言わずに、我慢し続ければいいのかといえば、そうではないと思うのです。
2.味方でいつづけることの大切さ
一つの大切なことは、「その相手の味方でいる」という態度なのでしょう。
それは、自分がその行動をイヤだと感じていること、それを望んでいない、ということと、矛盾はしないものです。
「私は、それを望まない。けれども、あなたの味方でいることには変わりがない」
そんな、態度と言えるでしょうか。
どんな愚かに見えることであっても、人は自分の決めたことしか、できないものです。
そして、人にとって最も不幸なのは、その愚かな行動をしてしまうことや、失敗をすることではありません。
その行動の結果、「やってしまった、失敗だった」と感じたときに、それを支えてくれる人が周りにいないことは、とても不幸なことです。
「そんなバカげたことをするなら、もうあなたのことなんか知らない!」と、突き放すのか。
それとも、どんなことになっても、味方でいつづけよう、とするのか。
それは、選べるわけです。
これは、結構ハードな選択でもあります。
私たちは、「行動」が愛の証明になると感じがちなものです。
「愛しているのなら、こうしてくれるはず」というのが、典型的な意識ですよね。
そして、目に見える「行動」を愛するのは、わかりやすいものです。
けれども、その人の「存在」を愛すること、それは私たちに深いつながりをもたらしてくれます。
その人が、どうあっても、何をしていても。
大切に想いつづける、味方でいつづける。
そうした愛を差し向けてくれる存在が、真の意味での「味方」と呼べるのかもしれません。
3.すべては自分への問い
そうした意味での「味方」でいつづける、ということ。
もちろん、そう簡単なことではありません。
「そんなこと言ったって、あの行動は間違っている。やめるべきだ」
何度も、そういう想いに駆られるものです。
そのたびに、「絶対に、自分の方が正しいのに」と思うかもしれません。
けれども、そうした瞬間というのは、相手にベクトルが向いているものです。
もしそれに気づいたら、そのベクトルを自分自身に向けてみてほしいのです。
自分と相手と、どちらが正しいのか、という視点は、一度脇に置いておいて。
どうして、その行動をやめさせたいのか。
どうして、相手がその行動をやめないと、自分は苦しいのか。
なぜ、そんなにも他人の行動に、口を出したくなるのか。
子どもだから?パートナーだから?…なぜでしょう。
そうした問いを、自分自身に向けてみるのです。
もちろん、それで苦しさがすぐになくなるわけでは、ありません。
けれども、少しずつ、視点が変わっていくはずです。
相手との間に見える葛藤は、自分の内面の葛藤の投影でしかありません。
その内面の問いを、相手は見せてくれているだけなのかもしれません。
昨日に続いて、自分が望んでいない相手の行動に対して、どう向き合うか?というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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