大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

人の心を狂わせる「正しさ」よりも、「やさしさ」を。

心理的にみると、「正しさ」とは拒絶の手段の一つであり、周りとのつながりを壊します。

それゆえに、「正しさ」と「幸せ」は反比例したりします。

「正しさ」よりも、「やさしさ」を大切にしたいものです。

1.「正しさ」とは、拒絶の手段の一つ

「この世の中はどんどん悪くなっている」という類の言説があります。

「昔はよかった」という、ノスタルジーとともに語られることが多いのですが、決してそうではないと私は思います。

ただ、最近の世の中において少し行き過ぎているな、と感じることもあります。

それは、「正しさ」の絶対視というか、「正しいこと」がオールマイティのようになっていることでしょうか。

多様性やタイバーシティといったことが叫ばれる一方で、「正しさ」の持つ力は、年々大きくなっているような気がします。

企業や有名人が不祥事を起こしたときの、世の中の反応を見ても、そう感じることが多いものです。

あ、これは私の心の内面の投影でしょうか笑

 

それはともかくとして、心理学的にみると「正しさ」とは、自立的な人が取る拒絶の手段の一つです。

私たちは、依存時代に傷ついた分だけ、「二度とあんな痛い想いをしたくない」と強く誓うわけです。

そのなかで、自分なりのルールを持っていきます。

「簡単に人を信用してはいけない」

「人はすぐに秘密をバラすから、自分の胸の内を明かしてはいけない」

「他人に相談してはいけない」

…などなど、私たちは傷つかないためのルールを、自立していく中でつくります。

このルールは、観念や思い込み、あるいは「正しさ」と呼ばれたりもします。

いわば、「正しさ」とは、私たちが自分を守るための手段であり、それゆえに周りの人たちを拒絶するものでもあります。

2.「正しさ」と「幸せ」は反比例する

さて、こうした「正しさ」。

「正しい」というポジションにいると、人は居心地がいいものです。

だって、「正しい」人は、誰にも責められないのですから。

それゆえに、罪悪感が強い人も、「正しさ」にこだわる傾向があったりします。

罪の意識から、誰かから責められることを怖れるため、常に「正しくあろう」とするわけです。

しかし、「正しさと幸せは反比例する」という金言があります。

私たちの幸せとは、「正しくあること」ではないはずです。

幸せを一義的に決めることは難しいのですが、少なくとも、自分以外の誰かとのつながりが、大きな要素を占めることは、間違いないのでしょう。

しかし「正しさ」は、そのつながりを壊してしまいます。

もし自分が「正しい」人であったとしたら、相手はどういう立ち位置になるでしょう。

そうですよね、「間違っている」人になるわけです。

自分と相手の立ち位置が違えば違うほど、この傾向は大きくなります。

自分が正しくあろうとすればするほど、「見ろ、お前が間違っているんだぞ」というメッセージを、相手に送ってしまうことになります。

あなたなら、「間違っている」というレッテルを貼られた相手と、一緒にいたいと思うでしょうか。

そうそう、思わないですよね。

そうなんです。

「正しさ」を突き詰めると、相手との関係性を壊してしまう方向にしか、ならないものです。

3.正しいよりも、やさしくあること

「正しさ」は、私たちが自分自身を守るために、身につけたものです。

それが、相手との関係性を壊してしまう方に向いてしまうのは、悲しいものです。

けれども、大切な人との関係性やつながりを壊してしまうことは、誰も望まないものだと思います。

そうであるならば、「正しさ」は手放した方がいい。

大切な人との関係性においては、「正しさ」「正しくあること」よりも、「やさしさ」「やさしくあること」の方が、大事なようです。

では、「やさしさ」とは何でしょうか。

一つの答えは、「感情的理解」です。

これは、想像力と言い換えてもいいのでしょう。

なぜあの人は、いつもあんなにも不機嫌なのか。

あの人が、いつも暴言を吐くのは、なぜなのか。

もちろん、他人の前では機嫌よくすること、他人に暴言を吐いてはいけないことは、「正しい」ことです。

それは、間違いありません。

けれども、その「正しさ」を越えて、相手の事情や、あるいは心情に想いを馳せることができるのが、ここでいう想像力であり、「やさしさ」なのでしょう。

そして、その相手の内面を「感情的に」理解することができたならば。

きっと、「正しさ」なんか、どちらでもよくなります。

それだけ、傷ついていたのかもしれない。

それだけ、分かってほしかったのかもしれない。

そうした「やさしさ」こそ、自分と相手との間の架け橋になります。

もちろん、そのように相手の心情を想像するためには、まず自分の内面を整える必要があるのも、間違いのないことなのですけれどね。

そしてその内面が整うほどに、「正しさ」にこだわる必要がなくなっていきます。

やはり、「すべては自分から」という、いつもの結論に落ち着いてしまいました。

すべての道はローマに通ず、ということなのでしょう。

 

今日は、「正しさ」よりも「やさしさ」を、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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