大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「正しさ」とは、傷ついた弱い自分を隠すためのものであり、それは幸せを遠ざける。

「正しさ」とは、傷ついた弱い自分を隠すためのものです。

しかしそれは、近しい人との信頼関係を損ない、幸せを遠ざけるようです。

そんな「正しさ」の心理と、そのゆるめ方のヒントについてお伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.「正しさ」を手放したとき、幸せはおとずれる

あなたが「正しい」ときには、その状況が閉鎖的になり、新しい情報がまったく入ってこられなくなります。

自分が「正しい」と思っているところをよく見てみると、その部分ではみずからの選択によってものごとの発展をとめてしまっていることがわかります。

 

「正しい」というものは、本当は内面でどれほど自分が「まちがっている」と感じているかを隠す方法なのです。

あなたは「正しさ」を選ぶこともできるし、「幸せ」を選ぶこともできます。

でも、両方を同時に選ぶことはできません。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.229

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2.「正しさ」と「幸せ」は反比例する

今日のテーマは「正しさ」です。

「正しさ」とは自分を守る鎧であり、それゆえに親密感や幸せを遠ざけるものです。

「正しさ」は人間関係を傷つける

今日の引用文は、ほんとズバッときますよね。

はい、その通りです…としか言いようがないような笑

しかしそれだけ終わってしまってはアレですので、もう少し私自身の言葉でお伝えしていこうと思います。

引用文の結論である、「正しさと幸せは両立しない」から見ていきましょうか。

「正しさと幸せは反比例する」という格言もありますね。

「正しさ」にこだわり過ぎると、幸せが逃げる、と。

人の幸せが何か、というのは哲学的な命題ですが、少なくとも自分の周りの人間関係に影響していることは、間違いはないのでしょう。

「正しさ」は、この人間関係をそこなうことがよくあります。

パートナーシップなどでは、とても顕著ですよね。

わたしが「正しさ」を押し通し、「正しい人」になればなるほど。

相手は、その反対に「間違っている」人になります。

しかし、自分が間違っている人とされたら、その相手と一緒にいたいと思うでしょうか。

自分が正しくなればなるほどに、相手は間違っている人になります

やはり、正しさにこだわればこだわるほど、幸せが逃げるといえると思います。

これは、ほんとに実感を持って、そうだと言えます笑

「正しさ」に、強くこだわっていたころ。

よく私は仕事で「私、絶対に間違ったこと言ってないですから!」と、よく言っていました。

それでうまくいっていたかというと、決してそうではないですよね。

えぇ、ご想像の通りです笑

常に、周りとの確執や対立が絶えませんでしたし、自分ですべてをしようとするので、常にハードワークのオーバーワークでした。

ほんと、「正しさ」と「幸せ」は反比例するようです。

3.「正しさ」の正体と、その癒し方

自立的な人ほど「正しさ」にこだわる

さて、そうした「正しさ」ですが、それは自分のなかの痛みや傷から生まれる、という性質があります。

言い換えると、「正しさ」とは、自分の持つルール、観念、思い込み、ビリーフといったものを守るためのものです。

そうしたものは、

「こうしなければならない」
「こうあるべきだ」
「普通、こうであるはず」

といった「べき・ねば」といった表現を取るものです。

それは、自分の弱さや傷を隠すためのものであることが、多いようです。

自分のルールをつくり、それを守ることで安心するわけです。

つまり、「正しさ」とは自己防衛の一種であるといえます

それゆえ、自立的な人ほど、「正しさ」にこだわる傾向があります。

自立的な人とは、依存時代に深く傷ついたゆえに、もう他人に頼るのをやめて、一人で生きていこうとするからです。

何でも自分でやろうとしますから、一見すると、何でもできるスーパーな人に見えます。

しかし一枚その皮をめくると、その裏側には傷ついてうずくまっている、弱い私がいます。

自立とは、「もっと強くならねば」と、そうした弱い自分を否定している状態でもあります。

「正しい」というものは、本当は内面でどれほど自分が「まちがっている」と感じているかを隠す方法なのです。

引用文にある通りですよね。

自分のなかにある、そうした弱く傷ついた自分。

その自分を、「まちがっている」と否定しているがゆえに、それを隠そうとする。

それゆえに、「正しさ」にこだわるわけです。

「私、絶対に間違ったこと言ってないですから!」

そうのたまっていた私の内面には、どれだけ傷ついた自分がいたのか。

そして、その弱った自分を、どれほど否定していたのか。

そう考えると、なんだか少し切なくなります。

「正しさ」をゆるめるためには、弱い自分を認めること

切なくなる、というのは冗談ですが、しかしその視線の先に、「正しさ」へのこだわりをゆるめるヒントがあります。

それは、「幸せ」を感じられる時間を増やす、ヒントでもあります。

なんたって、「正しさ」と「幸せ」は反比例の関係にありますから。

そのヒントというのは、弱い、傷ついた自分の存在を認めること、です。

そんな自分がいることを、認めること。

そんな自分がいても、しょうがないよね、とあきらめること。

それも自分だよね、と受け入れること。

それができると、傷ついた弱い私への否定、ダメ出しがゆるんできます。

そうすると、無理に「正しさ」にこだわって、その自分を隠さなくてもよくなってきます。

そしてそれと反比例するように、「幸せ」を感じる時間が増えていきます。

「正しさ」をゆるめる、一つの方法です。

そんな自分をイメージしていただくだけでも、「正しさ」を少しゆるめることもできるでしょう。

 

そして、もっと言うならば。

その傷ついた、弱い自分を、たいせつな人に「これも私なんです」と差し出すこと。

それができると、パートナーシップを非常に深めることができます。

とてもとても、怖く感じることなんですけどね。

 

今日は、「正しさ」の心理について、お伝えしました。

今日も、ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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