大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

時には、昔の話を。 ~黄色い蝶の思い出

母方の祖母の家は、私の実家の近くにありました。

実家から歩いて、子ども足でも10分ほどでしょうか。

そんな距離でしたので、共働きの両親が不在のときなど、よく世話になったものです。

その祖母の家の裏には、小さな庭がありました。

その庭から出ると、小さな川に沿った生活道路とつながっていました。

自動車どころか、自転車が通るのも窮屈な、そんな狭い道路でした。

ただ、買い物に出かけるには便利で、祖母はよくその道路を通って出かけていました。

その小さな庭を通ると、よくクモの巣が顔にひっかかるのが、私は苦手なものでした。

その庭で、祖母は花を育てたりしていました。

長方形の鉢に、色とりどりの花が咲いていたのを、思い出します。

 

春になると、よくその花の周りを黄色い蝶々が舞っていました。

やわらかな春の日差しのなか、ひらひらと舞うその蝶々の色を、よく覚えています。

祖母の家は、私の通っている学校とは違う学区にありました。

そのため、祖母の家にいるときの私は、一人遊びが多かったように思います。

昆虫を探したり、プラモデルを組み立てて床の間に飾ってみたり、知らない道を探検してみたり。

友達や誰かと遊ぶよりも、一人で何かに遊んでいる時間ばかりが、思い出されます。

その黄色い蝶々が、なぜ記憶に残っているのか、不思議なものです。

それをじっと眺めていたわけでも、ないのでしょうけれども。

庭を通ったり、何かをする拍子に見たその色は、どこか私の心に刷り込まれているようです。

 

いまはもう、その祖母の家も庭も、なくなってしまったのですが。

あの春の日の黄色い蝶々の色は、まだどこかにあるような、そんな気がするのです。

それがどこなのか、よく分からないのですが。

ただ、その色を見ていた私がいたことだけは、確かなようにも思うのです。

そんな黄色のことなど、誰も気にも留めないかもしれないのですが。

それでも、歳を重ねるごとに。

その黄色だったり、そんな何でもないものが、私にとってはたまらなく、いとおしく感じるのです。