大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

さよなら。

飼っているクワガタが冬眠から目覚めた数日後、入れ替わるようにして2匹のカブトムシが天に召された。

このカブトムシたちは、息子が去年の夏に幼虫から飼育してきたオスとメスだった。
オスは無事に羽化して、立派なカブトムシの形をしていたが、メスの方は羽化不良の奇形だった。
サナギになる時か、羽化する時にうまくいかなかったのか。そのせいか、動きも鈍かったので心配していたが、あまりにも早い別れだった。

ひと夏ごとに訪れる、その別れに少し慣れたのだろうか、息子は以前ほどショックを受けた様子はなかった。

ただ、残念そうだった。

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はじめて死を意識したのは、いつ頃だっただろうか。

父方の祖母が、病死した時だっただろうか。享年から計算すると、私が3歳のときになる。幼いころの記憶が薄い私ではあるが、祖母の葬儀のことは、わりと覚えている。

いつもとは違う家の空気と、出入りするたくさんの人。
何かが、平時とは違うように感じていたように思う。

父も、母も。何かと大変そうだったように覚えている。それが、何に大変だったのかは、よく分からなかった。ただ、いつもと違った剝き出しの感情と、それと対照的な無機質な色が、記憶の片隅にはある。

祖父にとっても、父にとっても。
あまりにも早い逝去だったことは、間違いないだろう。

ものごころつく前に亡くなった祖母には、寂しさという感情はあまり覚えなかった。
ただ、周りの人が大変そうにしているのを見るのは、辛かったようには思う。

その後の死の経験は、飼っていた小鳥だった。

黄色と緑色の混じった、可愛い小鳥だった。インコだっただろうか。幼少期の記憶の薄い私のこと、いつから飼っていたのかは、よく覚えていない。メスの小鳥だったように覚えているが、どうだろう。
ただ、気づいたときには実家の玄関で、よく鳴いていた。

部屋の中で放し飼いにすることはなく、いつも玄関に置かれた鳥かごの中にいた。少し、首を傾げる仕草がかわいくて、よく覚えている。
小学校から帰った私を、いつも出迎えてくれた。両親が共働きでおらず、学区の外れで友だちの少ない私を、いつも慰めてくれていた。

そんな彼女も、私が小学校4年生か、5年生くらいの時分に天に召された。
実家の庭に、埋葬したように覚えている。

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その後、わずか数年間のうちに、私は祖父と祖父と父と母を亡くした。

それはまだ、死という概念で捉えられるほどには、乾いていないように思う。
生々しい、生の傷として、私のこころの中に、居続ける。

もしかしたら、それは何年経っても、変わらないのかもしれない。

梅雨の合間の晴れ間を縫って、息子と2匹のカブトムシを埋葬しに近所の公園へ出かける。

湿気を含んだ風が、もう6月のそれだった。

息子に支持されて飼育ケースを抱えながら、死が分かつものは何だろうと考える。
会えなくなることに、寂しさを覚えるのは、人の根源的な感情なのだろうか。

そもそも、すべてがひとつながりだとしたら。
死は何も奪わないし、何も分かちはしない。

どこか無意識で、人はそれを知っているような気がした。
もし、生と死が絶対的に相容れないもので、死がすべてを分かつものだとしたら。その世界は、あまりにも寂しく、生きるに値しないように思う。

だとしたら、死が想起させる、この寂しさという感情は、何なのだろう。

タッタカタッタカと走って公園に向かう息子の背を、ぼんやりと目で追っていた。

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さよなら。

その言葉は、言えなくなるような気がした。
死を前にすると、である。

さよなら。

その言葉は、また会えるからこそ、言えるのかもしれない。
また会おう、さよなら、と。

さよなら。

死を前にすると、さよならとは言えない。
言ってしまったら、もう本当に会えなくなるような気がするからだ。

さよなら。

いつか、また会うために。
その言葉は、言わないでおく。

さよなら。

いつか、笑顔とともに、手を振るために。

さよなら。

いつかの駅のホームで。
デッキの車窓から見るその顔が流れ、もう見えなくなるまで。
ホームで手を振るその顔が流れて、無数の街の灯に変わるまで。

さよなら。

今日のところは、さよなら。

また。
また、会いたい。

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猫とかに掘り起こされないところを探すんだぞ。
息子はそう言う。
仰せの通りに、よさそうな木陰を探す。

そういえば、去年も息子はそんなことを言っていたことを思い出す。
そういえば、小鳥を埋葬する時の私も、そんなことを心配していたことを思い出す。

それもそうだけど、暗いところより、日当たりがいいところがいいよ。

そう言いながら、塩梅のよさそうな場所で、スコップを使ってざくざくと掘る。

息子が持ってきたお供えの昆虫ゼリーを一緒に埋め、手を合わせる。

さよなら。

目を閉じていると、不意にその言葉が口をついて出た。

また会おうね。

もう一言、付け加えた。

ナムナムと、息子はつぶやいていた。
そして木の枝を拾って、墓標を立てていた。

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