感情と結びついた記憶は、忘れないと聞きます。
とても嬉しいことがあったとき、とても悲しいことがあったとき。
そのときの風景や天気、あるいは風の色や聞いていた音などを、よく覚えているのは、そのためといわれます。
よく言われる話ですが、人間の脳のなかで、感情や感覚を司る右脳で覚えたことの方が忘れにくい、とも。
母が亡くなった晩、電話をもらった私は、セーターを持って家の後ろの丘を登っていた。
雪のように白い大きな月が、椰子の木ごしに昇っていた。
その晩遅く、月は庭の上に浮かび、サボテンを銀色に洗っていた。
母の死を振り返ると、あの雪のように白い月を思い出す。
ジュリア・キャメロンの「ずっとやりたかったことを、やりなさい」(サンマーク出版)に出てくる、この一文がとても好きなのですが、どこかそれは、私たちの記憶というものの本質に、近しいからなのかもしれません。
大きな白い月が、筆者の家の庭を銀色に洗っているさまが、ありありと想起されるようです。
そのとき、筆者がどんな感情を抱いていたのかは書かれてはいません。
ただ、その情景を思い浮かべると、どこか無音に近いような、とても静かな情景が思い浮かびます。
それは、筆者の死へのまなざしと、違いのかもしれません。
母方の祖父が亡くなったとき、私は高校生で、実家にいました。
携帯もポケベルも持っていなかった時代に、どうやってその連絡を知ったのかは覚えていませんが、私は病院に大急ぎで自転車を漕いで行ったように覚えています。
長いこと、病に臥せっていたいた祖父でしたし、何度も転院を繰り返していました。
だからというわけでもないのですが、「そのとき」がきたことに、それほど大きな抵抗はなかったように思います。
ただ、病院にいる祖母のことを想い、急いで行かなくては、と自転車を漕いだことを覚えています。
私の実家からは、結構な距離のところにある病院で、市内を流れる川を渡って、まださらに行った場所にありました。
何度か母親に連れられて行った記憶をたよりに、自転車を漕いだ記憶があります。
病院についたとき、肩で息をする汗びっしょりの自分の姿が、おおよそその場所にはふさわしくないな、と思ったりもしました。
高校生がいたところで、何かできるわけでもないのですが。
ただ、「遠いところを、わざわざ来てくれたのかね」と祖母が言っていたことを思い出します。
こんな遠いところまで自転車を漕いできたという驚きからか、それともよほどうれしかったのか。
それから祖母は、私が自転車を漕いできたという話を、何度もしていました。
必死になって漕いで、その故郷の川の橋を渡ったとき。
川面が、陽の光を浴びて、きらきらと輝いていたのを、よく覚えています。
そういえば、あの日も、今日と同じ雨水のころでした。
先のジュリア・キャメロンの言葉から考えるに。
あの記憶が、どんな感情と結びついているのか、よく分からないでいます。
ただ、祖父のことを想うとき、その故郷の川面の輝きを、私は思い出すのです。