大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

痛みや苦しみは、「そこを治しなさい」というサイン。

痛みや苦しみを感じるとき、それは「そこを治しなさい」というサインを、私たちの身体や心が教えてくれています。

そして、その先には、必ず新しい自分との出逢えるのです。

1.痛みや苦しみは、「癒し」のプロセス

昨日の記事では、心が痛いときや苦しいときは、「癒し」のプロセスである、というテーマでお伝えしました。

痛みや苦しみは、「癒し」のプロセス。 - 大嵜直人のブログ

心理学において「癒し」とは、ものごとの見方がポジティブに変わることを指します。

ものごとの見方や価値観、世界観、観念。

そうしたものが、ガラッと変わるのが「癒し」です。

それも、ただ変わるのではなく、「ポジティブな方向に」変わるというのが、ポイントです。

愛を受けとれるようになる。

つながりを感じられるようになる。

自分を大事にして、信じられるようになる。

人によっていろんな変化はありますが、そのなかでもポジティブな変化を「癒し」と呼びます。

こうした「癒し」は、大きな恩恵を与えてくれるものですが、なかなか簡単にものの見方や価値観を変えるのは難しいものです。

というか、その見方で世界を見ていることにすら、気づいていないことも多かったりもします。

では、どんなときに「癒し」が起きるかと言えば、私たちが生きる中で、心に痛みを感じたり、苦しんだりするときです。

言ってみれば、何らかの「問題」を抱えてた時、ともいえるのでしょう。

「癒し」というのは、ただその痛みや苦しみが消えることを指すわけでは、ありません。

そうした「問題」が、「問題」でなくなるような、そんな新しい自分に出逢うプロセスといえます。

昨日の記事では、そんなテーマでお伝えしました。

2.痛みは、「そこを治しなさい」というサイン

何がしかの痛みを感じるとき。

それは、「そこを治しなさい」というサインだったりします。

先日、私はベッドの角に足の人差し指を思い切りぶつけ、久しぶりに声にならない痛みを感じました笑

悶絶というか、なんというか…あの痛みは、イヤですねぇ…

しかし、痛みを感じればこそ、「あ、この指が傷ついているだ。養生しないといけない」と気づけるわけです。

痛いから、私はその指を冷やし、湿布を貼って、歩くときも用心するわけです。

なんとも、当たり前の話ですが笑

痛みはイヤなものですが、それは私たちに「治しなさい」と教えてくれるサインであり、ある意味でありがたいものです。

おかげさまで、私のその指は、内出血したのか見た目は黒々となっていましたが、快方に向かっております。

これ、身体に限った話では、ありません。

心のなかのことでも、同じです。

痛みを感じるとき、それは何がしかの傷があり、それを「治しなさい」「養生しなさい」と言われているようです。

3.痛みがおさまるとき、変化が起こる

その痛みがおさまるとき、変化が起こります。

その前の状態とは、違うものになるわけです。

筋トレとかされる方は、よくご存じですよね。

トレーニングをして高い負荷をかけると、筋線維が傷ついて、筋肉痛という痛みが出る。

しかし、それが治っていくと、以前の筋肉とは違う形で再生されます。

大きく、そして強くなるという変化が起こります。

痛みとは、私たちに「そこを治しなさい」というサインを出してくれているもの。

そして、それが治るとき、ポジティブな変化が起こるものです。

それが、心のなかでは「癒し」と呼ぶのでしょう。

痛みや苦しみは嫌なものではありますが、「そんなこともあるのかもしれない」という見方をするだけでも、少し変わるものがあると思います。

その先にある、新しい自分は、どんな自分なのか。

それを想像してみるのも、痛みや苦しみとつきあう、一つの方法です。

今日は、痛みや苦しみは、「そこを治しなさい」というサイン、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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