痛みや苦しみを感じるとき、それは「そこを治しなさい」というサインを、私たちの身体や心が教えてくれています。
そして、その先には、必ず新しい自分との出逢えるのです。
1.痛みや苦しみは、「癒し」のプロセス
昨日の記事では、心が痛いときや苦しいときは、「癒し」のプロセスである、というテーマでお伝えしました。
心理学において「癒し」とは、ものごとの見方がポジティブに変わることを指します。
ものごとの見方や価値観、世界観、観念。
そうしたものが、ガラッと変わるのが「癒し」です。
それも、ただ変わるのではなく、「ポジティブな方向に」変わるというのが、ポイントです。
愛を受けとれるようになる。
つながりを感じられるようになる。
自分を大事にして、信じられるようになる。
人によっていろんな変化はありますが、そのなかでもポジティブな変化を「癒し」と呼びます。
こうした「癒し」は、大きな恩恵を与えてくれるものですが、なかなか簡単にものの見方や価値観を変えるのは難しいものです。
というか、その見方で世界を見ていることにすら、気づいていないことも多かったりもします。
では、どんなときに「癒し」が起きるかと言えば、私たちが生きる中で、心に痛みを感じたり、苦しんだりするときです。
言ってみれば、何らかの「問題」を抱えてた時、ともいえるのでしょう。
「癒し」というのは、ただその痛みや苦しみが消えることを指すわけでは、ありません。
そうした「問題」が、「問題」でなくなるような、そんな新しい自分に出逢うプロセスといえます。
昨日の記事では、そんなテーマでお伝えしました。
2.痛みは、「そこを治しなさい」というサイン
何がしかの痛みを感じるとき。
それは、「そこを治しなさい」というサインだったりします。
先日、私はベッドの角に足の人差し指を思い切りぶつけ、久しぶりに声にならない痛みを感じました笑
悶絶というか、なんというか…あの痛みは、イヤですねぇ…
しかし、痛みを感じればこそ、「あ、この指が傷ついているだ。養生しないといけない」と気づけるわけです。
痛いから、私はその指を冷やし、湿布を貼って、歩くときも用心するわけです。
なんとも、当たり前の話ですが笑
痛みはイヤなものですが、それは私たちに「治しなさい」と教えてくれるサインであり、ある意味でありがたいものです。
おかげさまで、私のその指は、内出血したのか見た目は黒々となっていましたが、快方に向かっております。
これ、身体に限った話では、ありません。
心のなかのことでも、同じです。
痛みを感じるとき、それは何がしかの傷があり、それを「治しなさい」「養生しなさい」と言われているようです。
3.痛みがおさまるとき、変化が起こる
その痛みがおさまるとき、変化が起こります。
その前の状態とは、違うものになるわけです。
筋トレとかされる方は、よくご存じですよね。
トレーニングをして高い負荷をかけると、筋線維が傷ついて、筋肉痛という痛みが出る。
しかし、それが治っていくと、以前の筋肉とは違う形で再生されます。
大きく、そして強くなるという変化が起こります。
痛みとは、私たちに「そこを治しなさい」というサインを出してくれているもの。
そして、それが治るとき、ポジティブな変化が起こるものです。
それが、心のなかでは「癒し」と呼ぶのでしょう。
痛みや苦しみは嫌なものではありますが、「そんなこともあるのかもしれない」という見方をするだけでも、少し変わるものがあると思います。
その先にある、新しい自分は、どんな自分なのか。
それを想像してみるのも、痛みや苦しみとつきあう、一つの方法です。
今日は、痛みや苦しみは、「そこを治しなさい」というサイン、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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