「受けとらない」と「受けとれない」という二つの状態について、考えてみます。
それぞれの状態によって、対処法が変わってきます。
1.愛を受けとらないのは傲慢さである
昨日の記事では、愛を受けとらないのは傲慢さである、というテーマでお伝えしました。
愛を受けとならないのは、美しい謙遜ではなく、たいせつな人を傷つけてしまう傲慢さである。 - 大嵜直人のブログ
ときに、私たちは愛を受けとることに抵抗を感じてしまうことがあります。
それは、大切な人から差し出された愛であってもです。
そして、受けとらないことの方が、美徳に近いような、そんなことすら思っていたりします。
「こんな自分に対して、申し訳ない」だとか、「それよりも、与えている方が楽」とか、そういった心理から、愛を受けとることを避けてしまうものです。
それは、自分自身に対して持っている罪悪感だとか、無価値感だとか、そういったものからくる心理ではあるのですが、差し出された愛を受けとらないのは、自分の周りの人を傷つけてしまいかねません。
「あなたの愛は、受けとるに値しないんだよ」
そんなことを、宣言しているようなものですから。
もちろん、そんな意図は露ほどもなかったとしても、です。
愛を受けとらないことは、美しい謙遜ではありません。
愛を差し出した側からすると、なかなかショックですよね。
けれども、その逆に、「こんなステキな愛を、どうもありがとう!」と、満面の笑みで受け取ってくれたら、これほど嬉しいこともないのではないでしょうか。
もっと与えたくなりますし、その相手のことをもっと好きになりますよね。
そうなんです。
その反対に、愛を受けとることは、最高の愛情表現の一つであり、私たちの人生をポジティブに拓く魔法でもあります。
2.「受けとらない」と「受けとれない」
さて、愛を受けとらないことは、大切な人を傷つける傲慢さ、と先ほどお書きしました。
ここで注意したいのは、「受けとらない」と「受けとれない」とは違う、ということです。
「受けとらない」は、文字通り自分の意志で受けとらないことを決めている状態です。
一方で、「受けとれない」とは、受けとりたいという意思があるんだけれども、何らかの不都合や障害があり、受けとれない状態といえます。
あなたがもし、周りの愛を十分に受けとっていないと感じるのであれば、このどちらかなのかは、少し考えてみてもいいかもしれません。
昨日の記事でも少し触れましたが、「自立」が極まってくると、この「受けとらない」モードに入ってしまうものです。
自分から与えるだけで、周りからは絶対に受けとらない。
そんな、意固地のような状態になってしまうことがあります。
言い換えるとそれは、周りからの愛に気付いてすらいない状態、といえます。
はい、イヤですねぇ…ほんと笑
でも、わたしも「自立」の極北にいた時分には、どれだけ周りから愛されていたか、ほんとに無自覚でした。
「どうせ、自分のことなんか、みんなどうでもいいんだ」
そんな、ひねくれた想いを、抱いていました。
そんなこと、ないのにね。
「受けとらない」とは、周りからの愛の大きさに、全く気付いていない状態です。
この状態では、少し「自立」をゆるめ、周りからの愛に目を向けていく必要があります。
さて、もう一方の「受けとれない」とは、周りからの愛に気付いていて、それを受けとりたいのだけれど、十分に受けとれていないと感じている状態です。
周りからの愛の大きさに、おののいてしまうというか、申し訳なさを感じて居心地が悪くなってしまうというか。
これは、ある意味でパーソナリティに関わってくる部分のように思います。
罪悪感が強い人ほど、「受けとれない」状態には陥りやすいものではあります。
その反対に、「え?そこまで受けとっちゃうの?!」というくらいに、受けとるのが上手な人もいます。
これは、もうパーソナリティというか、そうとしか言いようがないようにも思うのです。
もちろん、先に書いたように、受けとれば受けとるほど、生きるのが楽にはなりますし、相手のためにもなります。
ただ、いまの自分が100%受けとれないからといって、それを責める必要もないとは思うのです。
「それが、いまの自分」として受け入れてあげる方が、大切なように思います。
これから先、もっと受けとれるように、罪悪感と向き合ったり、自分の価値を受けとったりしていくことはできますから。
このように、「受けとらない」と「受けとれない」では、大きく意味合いが違いますし、そのアプローチも変わってくるものです。
3.受けとれないなら、笑顔でいればいい
究極的に言ってしまえば。
「与える」ことは、それ自体が喜びであるはずなので、それを受けとろうが、受けとるまいが、あまり関係ないのかもしれません。
「もう、与えさせてもらえるだけで、幸せ」
そう感じることが、誰にでもあるのではないでしょうか。
だから、相手が本質的な意味での「与える」ことができていた場合、受けとる・受けとらないというのは、相手にとってはどちらでもよくて、自分のなかだけの問題といえるのかもしれません。
昨日の記事とは、矛盾するようにも見えますが笑
その差し出された愛を、受けとりたいのか。
それとも、そうじゃないのか。
内なる自分に、問いかけてみても、いいのかもしれません。
そして、受けとりたいけれど、受けとれていなくても、何ら恥じることも、申し訳ないと感じることもありません。
もし、十分に受けとれないと感じるのなら。
ただ、笑顔でいれば、それでいいように思うのです。
あなたが与えた相手が笑顔でいたら、それだけで、とてもうれしいと思いますから。
今日は、愛を「受けとらない」と「受けとれない」の違い、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
〇大嵜直人のカウンセリングの詳細・お申込みはこちらからどうぞ。
※ただいま12月度の個人カウンセリングを募集中となります。
〇カウンセリングのご感想のまとめはこちら。