大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「なぜあの人は、あんなにも受けとらないのか問題」を考えるヒント。

なかなか人の好意や援助を受けとらない人がいます。

こちらが精一杯の好意で差しだしているのに、受けとらない人。

そんな人の心理について、考えてみたいと思います。

受けとらないのは、受けとれないから?

「自立」にいる人、あるいは大切な人が「自立」的な人に向けて

ご想像の通り、今日のテーマは「自立」の問題です。

「依存」の状態にいる人は、「ちょうだいちょうだい、もっとちょうだい」の人が多いですよね。

「自立」の場合はその反対で、「いらない、自分でやるから」という態度を取る場合がほとんどです。

はい、与える側からすると、なんとも寂しい反応ですよね泣

相手のことを心配したり、あるいは相手のことを想って、いろんな場面で与えようとしているのに、それを受けとってもらえない。

それどころか、かえって迷惑そうな反応までされてしまう。

そんなことが重なると、絶望的な気持ちになったり、「もう与えてやるもんか」という気分になるのも、ある意味で当たり前かもしれません。

そして、大切な人を想っているのに、関係性が遠くなったり、悪いくなったりしてしまう…

はじめは、大切な人に与えようとした愛が、そんな風にすれ違うのは、悲しいことですよね。

今日のテーマは、そんな「愛を受けとれない心理」について、考えてみます。

「自立」はつらいよ

もう一度、「自立」に至る心理について、おさらいしておきます。

どんな環境でも、私たちは「依存」の状態からはじまります。

自分では何もできず、周りが主導権を持っている状態。

それは与えてもらうステージなのですが、「与えてもらえるかどうか」は、相手がその選択肢を持っているわけです。

それゆえに、自分自身が欲しいと思っても与えてもらえなかったり、あるいは自分の欲しい形ではないものが与えられたりします。

それが辛く、しんどいがゆえに、私たちは「なんでも自分でやる」という「自立」の状態に移っていきます。

言い換えると「自立」とは、「もうあんな想いをしたくない」という痛みから、「いかに傷つかないか」を考えた末に、仕方なく取る選択といえます。

他人に期待することをやめ、何でも自分でやろうとします。

それゆえに、人と距離を置き、一人で生きている状態であり、できるだけ傷つかないように、怯えている状態ともいえます。

それは、カラ元気のようでもあり、「武士は食わねど高楊枝」的な、しんどい状態ともいえます。

なんでも自分でやる傾向のある人ほど、この「もう傷つきたくない怖れ」を抱いていることが多いものです。

「自立」が受けとれない心理

「自立」とはハリボテの城壁?

さて、そうした「自立」の状態とは、言ってみれば外向けにハリボテの城壁を築いているようなものです。

周りから見れば、自分のことを自分でして、なんでもバリバリできて、素晴らしい人に見える。

けれども、外側から見えるその城壁は、ハリボテなわけです。

ベニヤ板で、簡単に破られてしまうような代物かもしれません笑

「自立」の状態にいる人の城壁もまた、ハリボテです。

何でもできるように見えて、その裏側には、自信のない、傷ついて怯えた自分がいます。

その自分を、絶対に他人に見せるわけにはいかないわけです。

ここが、「自立」の心理を考える上で大切な、一つのポイントです。

「依存」の時代、私たちは城壁を築くことはありませんでした。

「もっとちょうだい」という欲求があるのに、わざわざ城壁を築いて、誰も近づけないようにしてしまう人はいないわけです。

「依存」の恩恵、魅力である無邪気さといったものは、ここから出てくるわけです。

けれども、その「もっとちょうだい」という欲求が叶わないことが多く、それに痛みを感じたがゆえに、私たちは「自立」の状態へと移っていきます。

「もう、誰も入れないし、誰も近づけない」

そんな心理から、城壁(ハリボテ)を築いていきます。

それは、侵略者か?援軍か?

そうした状態にある「自立」の人。

その人にとって、助けに来る人は、そのハリボテの城壁を越えてくる存在なわけです。

せっかく、一生懸命に、傷つかないように、誰も入れないように築いた城壁。

それを乗り越えてくるとは!

「あなたを助けにきたのよ」

と言ったところで、そう言ってだまそうとするスパイなのかもしれません。

いろんな時代劇でも、戦国ものでも、城主のいるお城に入るためには、厳格なセキュリティチェックがありますが、それと似たようなものかもしれません。

城壁を乗り越えてくるのは、侵略者なのか、それとも援軍なのか。

傷ついている「自立」の人にとって、それは分からないわけです。

「はぁ?何言ってんの?」と思われますでしょうか。

それも、当然だと思います。

けれども、それだけ、「自立」に触れている人は、傷ついている人といえます。

そして、助けに来た人を追い払ってしまった分だけ、罪悪感を抱えることになります。

「自分を助けに来たのに、その好意を台無しにしてしまった」

その罪悪感が、さらに愛を受けとることを困難にしていきます。

「自立」の状態とは、そんなしんどい状態といえます。

罪悪感でつながらないために

「自立」にいる人が、受けとれない心理について、考えてきました。

「それは分かるけど、じゃあどうしたら受け取ってくれるの…?」

そう感じるかもしれません。

悲しいことに感じられるかもしれませんが、「受けとる・受けとらない」は相手の問題であり、それを与える側がコントロールすることはできません。

そこをコントロールしようとすると、とても苦しくなりますし、さらに相手をガンコにしてしまうかもしれません。

そのかわりに、「あの人も、したくてそうしているわけでは、ないのかもしれない」、という想像を働かせてみることは、大切な考え方のひとつです。

もしかしたら、受けとりたいんだけど、あの人の事情もあって、受けとれないのかもしれない。

そう想像することができれば、自分の与えてきた愛を、いたずらに卑下したりしなくて済みます。

自分の与えてきた愛を否定することほど、しんどいことはないですから。

それは、相手が受けとれない、拒否してしまうことの罪悪感とつながってしまうことを、防いでくれます。

「ごめんなさい、余計だったよね…」

「私ごとき愛では、だめだよね…」

そんな風に感じてしまったら、相手の罪悪感とつながってしまっています。

お察しの通り、それはお互いの関係性にあまりポジティブに働きません。

そうならないためにも、自分の愛の偉大さを認識しつつ、それを相手が受けとれないこととは何の関係もないことと、一度線を引くことが大切になるのでしょう。

どれだけ受け取ってもらえなくても、それでも与えようとしてきたあなたの愛は、偉大なのですから。

今日は、「なぜあの人は、あんなにも受けとらないのか問題」を考えてみました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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