自分が嫌ってきた自分を受け入れることができると、たくさんの恩恵があります。
安心感やつながりといったものを感じやすくなりますし、何よりも大切な人に、それを与えることができるようになります。
1.忌み嫌ってきた自分を受け入れ方
昨日の記事では、忌み嫌ってきた自分の受け入れ方、というテーマでお伝えしました。
忌み嫌ってきた自分の受け入れ方について。 - 大嵜直人のブログ
わたしたちは成長していく中で、自分自身にラベルを貼っていきます。
外に出してもいい自分と、出してはいけない自分。
それは端的に言ってしまえば、「(他人から)愛される自分」と「愛されない自分」という区分けであり、その境界線となるのは、過去の傷ついた経験といえます。
「こんな自分では、愛されない」
という経験は強烈で、それゆえにその自分は決して外に出してはならず、自分の奥深くに厳重に閉じこめたりしてしまうものです。
しかし、自分の一部分を隠して生きることは、しんどいものです。
たとえ、その「愛される自分」だけを外に出して、周りの人との関係がうまくいったとしても、どこかウソをついているような、そんな感覚に陥ったりもします。
あるいは、いつもどこか自分の一部が失われているような、そんな感覚を抱くこともあるかもしれません。
「この自分は、出してはいけない」とはいいつつも、どんな自分も愛してほしいじゃないですか、やっぱり、ね笑
けれど、いきなりそれをパートナーなり、他人に求めるのは難しいものですから、まずは自分自身が、もう一度忌み嫌った自分を受け入れていく、というプロセスが必要です。
そして、その受け入れ方には、「その自分を隠してしまった経験を癒していく」というアプローチと、「隠したくなってしまうくらいの才能がある」という視点で見ていくアプローチがあることを、昨日の記事ではお伝えしました。
2.忌み嫌ってきた自分を受け入れる恩恵
自分が忌み嫌ってきた自分を、自分がもう一度愛してあげる。
その恩恵は、実に大きなものがあります。
それは、自分だけにとどまらず、自分の周りの大切な人にまで及ぶほど、大きな恩恵です。
忌み嫌ってきた自分を、自分が受け入れることができると、そこには安心感が生まれます。
先に書いたような、「常に誰かにウソをついている感覚」や、「どこか自分の一部が失われている感覚」といったものが、薄れていくものです。
自分という存在が、常にそばについている。
そこには、「わたしはここにいてもいい」という、居場所がある感覚も生まれてきます。
つながりが、感じられるようになるわけですよね。
孤独感を、癒せるとも表現できるでしょうか。
この「つながり」というのも面白いもので、数多くの人とコミュニケーションが取れたとしても、必ずしもつながりが感じられるわけではありません。
周りにたくさん人がいる雑踏のなかで、どうしようもない孤独を感じたりすることも、ありますよね。
自分自身とつながっていること。
それが、つながりを感じるために必要なことです。
忌み嫌ってきた自分を受け入れることは、自分自身に対して、そうした多くの恩恵を与えてくれるものです。
3.周りの人にも、それを投影するようになる
忌み嫌ってきた自分を、受け入れる恩恵。
それは、自分に対してもらたされるものだけに限りません。
その嫌ってきた自分を受け入れることができると、それを周りに「投影」するようになります。
それを周りに「投影」すると、周りの人の愛しにくいところも、少しずつ受け入れられるようになります。
「そんなに隠さなくても、大丈夫だよ」
「どんなあなたも、愛している」
そんなメッセージを、大切な人に贈ることができるようになります。
そうするとね、ほんとに満たされるんです。自分自身が。
普通に考えると、そのメッセージを自分の大切な人にかけてもらいたい!と思うじゃないですか。
誰もが、どんな自分でも愛されたいと願うし、愛する人にはどんな自分も受け入れてほしいと願うものですから。
でも、逆なんですよね。
まず、自分なんです。
自分が、どんな自分も愛してあげる。
そうすることで、大切な人のどんな面も、愛せるようになっていく。
すると、満たされるんです。とても、満たされるんです。
当初、思っていた方法とは、まったく逆の方法で、満たされるんです。
不思議ですよね、ほんとに。人の心の世界って。
まずは、自分が自分を受け入れる、愛する。
それは、いつも変わらず大切なことのようです。
今日は、忌み嫌ってきた自分を受け入れる恩恵、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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