自分のなかに忌み嫌っている部分があると、どうしても生きづらさを感じやすくなります。
そうした忌み嫌い、隠してきた自分の受け入れ方のヒントについて、お伝えします。
1.心の癖やパターンもまた、自分の大切な一部
昨日の記事では、心の癖やパターンもまた、自分の大切な一部というテーマでお伝えしました。
心の癖やパターンもまた、自分の大切な一部分。 - 大嵜直人のブログ
とかく、私たちは「原因→結果」という思考が大好きです。
「いま、私がしんどい原因は、きっと〇〇だからだ」、というように。
もちろん、その見立てが正しい場合もありますし、その分析をこれからの自分にフィードバックしていくのは、意味のあることだと思います。
しかし、注意したいのは、そこで見立てた「原因」をネタにして、自分を責めてしまうことです。
これ、自責の念が強い人ほど、その傾向があるかと思います。
はい、ご多聞に漏れず、私もその傾向があります笑
「〇〇みたいな原因をもっているから、わたしはダメなんだ」とか。
そのように考えていくと、「その原因を取り除かないと、自分はダメ、愛されない」という考えにつながってしまいます。
これ、一見もっともらしく見えて、余計に苦しくなることがあります。
たとえば、人とコミュニケーション取るのが大好きな人が、「こんな八方美人ではあかん」と、自分を矯正しようとしたら、どうなるのでしょうか。
結構、苦しいんじゃないかなぁ…と思うわけです。
「このあなたはOK、こっちのあなたはダメ」みたいな愛され方って、なんかイヤですよね。
「どんなあなたも、素敵ですよ」って、言われたいじゃないですか笑
まあ、それが現実のパートナーとかに言われるかどうかは別として、自分だけは、自分に対してそのように愛していきたいものです。
2.隠した自分に、もう一度光を当てる
私たちは、成長する中で、いろんな自分にラベルを貼っていきます。
「これは、良い私だから、表に出してOK」
「この私は、誰にも見せてはいけない私」
「この友達には、この私を出しても大丈夫」
…などなど、その多くは「いかにしたら、愛されるか」という視点から貼られるラベルです。
そして、その愛されるかどうかの基準は、自分の親であることが多いものです。
もちろん、こうしたプロセス自体が否定されるべきものでもありませんし、じゃあ全方位に向けて、素の自分で生きられるかというと、いきなりは難しいものだと思います。
(もちろん、そう生きられたら、素晴らしいことだと思いますが)
誰しもが、会う人によって、自分の仮面を変えていると言えるのでしょう。
しかし、「これは表に出したらあかん」とされた自分があると、とても窮屈なものです。
どこか、この生きている自分が、自分ではないような。
身体の一部が、どこかなくなっているような。
常に、そのなくした一部を、探しているような。
そんな感覚が芽生えたりもします。
そりゃあ、そうですよね。
自分の一部を、自分が忌み嫌い、封印してしまっているわけですから…
どこか、逃亡犯のような自分を内側に抱えていて、そしてそんな自分がいることで、周りに対して申し訳なく感じたりもすら、するかもしれません。
そうした、自分で隠してしまった自分のある一面に、もう一度光を当てて、その存在を認めてあげる。
それは、「自分を取り戻す」、あるいは「統合」と呼ばれたりもするプロセスなのでしょう。
3.隠した自分の受け入れ方、ふたつ
忌み嫌ってきた自分自身を、取り戻す。
その方法として、二つのアプローチが考えられるかと思いますので、今日はそれを少しご紹介したいと思います。
「どんな自分も受け入れましょう!」と言っても、いきなりそれを受け入れるのは、難しいものです。
だって、その自分を隠したのには、それなりの理由があったのでしょうから。
「そんなんじゃ、嫌われるよ」と親に言われた。
その自分でいると、周りの人が不機嫌になったように感じた。
素の自分でいると、周りから浮いてしまった。
いろんな理由があるかと思います。
一つ目のアプローチは、そうした理由を一つずつ丁寧に紐解いていく、という方法です。
安全な場所で、そのとき自分が感じていたことを吐き出し、感じ尽くしていくわけです。
そうすることによって、そのときの自分と、周りの人たちを許していくアプローチです。
広義でいうところの「許し」のアプローチといえます。
そのときの自分も、周りの人も、誰も悪くない。
ただ、そうせざるをえなかっただけ。
そんなふうに感じられるほどに、隠してきた自分自身への嫌悪を、ゆるめていくことができます。
そしてもう一つは、その隠した自分にこそ、「才能」が眠っているという視点です。
色濃い影の裏には、力強い陽の光があります。
だれしも、自分自身の「才能」と呼ばれるものに近い部分ほど、それを隠しておきたくなるものです。
もしかしたら、その隠そうとしてきた自分は、あまりに光が強すぎるがゆえに、隠そうとしてきたのではないだろうか?
もし、その「隠そうとした自分」に才能が宿っているとしたら、どんな才能なんだろう?
そんな風に考えてみる視点です。
もちろん、隠してきた自分に才能が宿っているとは、にわかには信じがたいものかもしれません。
けれど、「問題の陰に才能あり」という格言がありますが、自分が大きな問題や陰だと感じているものの近くに、自分自身のかけがえのない才能が宿っているものです。
そうした才能に一番気づいていないのは、自分自身だったりするものです。
今日は、忌み嫌ってきた自分の受け入れ方のヒント、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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