相手のなかに見えるネガティブな部分は、自分が嫌ってしまった自分の一部です。
そして、どんな自分であれ、それを愛することができるのは自分自身しかいません。
1.相手に見えるネガティブな部分は、自分自身のかけら
先日の記事では、「ネガティブなつながり」をテーマにしてお伝えしました。
ネガティブなつながりを感じるのは、そこに失われた自分自身のかけらがあるから。 - 大嵜直人のブログ
「つながり」と聞くと、とてもポジティブな響きがありますが、私たちが他人と関わるのは、それだけはありません。
時には、相手に対して怒ったり、憤ったり、イライラしたり…ネガティブなつながりをしてしまうこともあるものです。
しかし、自分に対して何も関係ないことに、私たちは反応しないものです。
ネガティブなものであれ、自分のなかの何かが反応しているわけです。
私たちは、自分のなかにないものを、外の世界に見ることはできません。
「やさしさ」が分かる人は、自分のなかに「やさしさ」を持っている人です。
あるいは、自分のなかに許せない部分があれば、それを外に映し出します。
「投影」とよばれる心理です。
これは、距離感の近い相手ほど、自分の内面を色濃く映し出したりします。
だから、パートナーや両親といった存在には、イヤなところや許せない点が目につきやすかったりするもです。
しかし、こうしたネガティブに見える部分は、私たちが自分で忌み嫌っている部分だといえます。
それは、どこかのタイミングで、忌み嫌ってしまったのかもしれませんが、それでも、もともとは自分自身の一部であり、大切なかけらだったわけです。
だから、相手とネガティブにつながることは、苦しいわけです。
それは、相手を愛せないという苦しさと、自分を自分で否定してしまうことと、二重の苦しさです。
2.どの自分も、大切な自分だけれども
いつかのタイミングで、忌み嫌ってしまった私たち自身。
きっと、誰かに受け入れられなかったり、愛されなかったり、恥をかいたようなことがあったのでしょうね。
「こんな自分では、愛されない」
その想いとともに、私たちは自分自身の一部を封印してしまいます。
そのかわりに、「これなら、きっと愛される」という装いをして生きていくようになります。
ここで、その「装いをした自分は、本当の自分ではない」と言いたいわけではありません。
そこで身につけたよそ行きの自分もまた、自分自身です。
そこに、真実も偽りもありません。
多くの場合、後天的に身につけたその「よそ行きの自分」は、私たち自身を助けてくれるものです。
社会生活を営む上だったり、仕事の上だったり、あるいはパートナーシップのはじまりの場面だったり。
けれども、「それだけ」だと、苦しいんですよね。
自分の胸のあたり、ぽっかりと穴が空いているような。
どこか、自分自身が無いような。
どうやっても、深呼吸ができないような。
そんな、苦しさを感じたりするものです。
それは、やはり自分自身の一部を、自分が否定していることの苦しさといえるのでしょう。
3.あなたに、そこにいてほしい
その苦しさを解消するためには、やはりその嫌ってしまった自分自身を、自分が愛することしかないのでしょう。
「またそれか…」と思われるかもしれません笑
でも、そうなんです。
そのあなた自身を愛するのは、あなたしかありません。
愛する、というと、少しハードルが高いと感じるようでしたら、受け入れる、認める、寄り添うといった感覚ではいかがでしょうか。
「それも、わたしだから」
ぜひ、そんなフレーズを、唱えてみてください。
もしかしたら、胸がざわつくかもしれません。
あなたのなかの鬼軍曹が、さわぐかもしれません。
「いや、そんなんじゃダメだ」
「そんな私は、認められない」
そのざわつきも、そのままに。
あなたは、そこにいていい。
そこに、いてほしい。
そう、自分自身に伝えてみてください。
少しずつ、変わっていくものがあるはずです。
どんなあなたでも。
そのあなたを愛するのは、あなたしかいないのですから。
今日は、どんな自分も大切な自分というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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