受けとろうが、受けとるまいが、自分の価値や才能は、そこに「ある」ものです。
それは北極星のように、いつも私たちの歩く道を照らしてくれます。
1.自分の価値の受け取り方
先日の記事では、自分の価値の受け取り方、というテーマでお伝えしました。
自分の価値を知ったら、あとは受けとれるように「お祈り」してしまおう。 - 大嵜直人のブログ
自分自身の価値や才能を知ることは、ある意味でとても難しいものです。
自分の持っているセルフイメージと、その人の持っている価値や才能といった本質が、全く異なる場合も多かったりもしますから。
なので、自分の価値や才能、魅力といったものを知ることができるのは、とても幸運なことといえます。
しかし、そうして知った自分の価値や才能を、受けとることもまた、難しかったりしますよね。
たとえば、周りの人が、自分のいいところ、素晴らしいとこを伝えてくれたりしたときに、「いや、全然です、私はそんなに素晴らしい人じゃありません」と、真顔で否定したりしていませんでしょうか…?
私は、数えきれないほど、それをしてきました。
そのあと、一人で「せっかく好意で伝えてくれているのに、あれはないよな…」と罪悪感での自分責めが、ワンセットですよね笑
自分の価値を受けとる、というのも難しいのですが、それ以上に難しいのが、「受けとる」ことなのかもしれません。
これ、難しいのが「受けとろう」と自分で何とかしようとするほどに、自分のなかに抵抗が出てきてしまうところです。
先日の記事では、そうした「自分で」なんとかしようとするのをやめて、「どうか、受けとらせてください」と、お祈りするのも一つの方法だとお伝えしました。
神さまでも、仏さまでも、何でもいいのですが、そうしたものに頼る、委ねる、お任せする、ということです。
受けとれるときには、受けとれる。
そんな風に、ある意味で軽く考えることが、大切なのかもしれません。
2.受けとるのを阻むのは、いつも自分自身
軽く考えるといいのは、「罪悪感」をゆるめる効果があります。
私たちに与えられた、価値や魅力、才能。
そうしたものを受けとることを阻むのは、いつも自分自身でしかありません。
何もしなくても、私たちには大きな愛や恩恵が、常に注がれているのに、それを「いや、要りませんから、大丈夫です」とイヤイヤしていたりします。
周りからの気遣い。
パートナーからの愛情。
家族からの想い。
空から降り注ぐ暖かな日差し。
夜に訪れる月と星のやわらかな光。
いつも、私たちに「どうぞ、どうぞ」とばかりに、注がれています。
それを受けとらないのは、私たち自身。
そして、受けとらなくさせているものの、最たる要因の一つが「罪悪感」です。
自分は悪いことをした人間だ、罪を犯した人だ。
そうした観念は、私たちに何ひとつ受けとらないようにさせます。
罪人が、何かを受けとってはいけないし、幸せそうにしていてはいけないからです。
そして、「罪悪感」は「重さ」として表れます。
抱えきれないような重荷を背負って歩くことが、罪人の定めであるから。
先ほど書いた「軽く考える」というのは、そうした「罪悪感」が入り込まないようにする、という恩恵があります。
3.価値や才能は、自分の人生の北極星
自分の価値や魅力、あるいは才能。
そうしたものは、自分の人生における北極星のようなものです。
どんなときでも、それはそこに「ある」のです。
それをあなたが見ていても、見ていなくても。
あなたが受けとっても、受けとらなくても。
あなたが信じても、信じなくても。
そこに、「ある」んです。
ときに、それを受けとれなかったとしても、気に病むことはありません。
だって、いつもそこに「ある」んですから。
受けとっても、受けとらなくても。
きっと大丈夫です。
もしもあなたに、あなたの価値や魅力、才能、長所、いいところ、すばらしいところを伝えてくれる誰かがいたとしたら。
それは、とても幸運なことだとは思います。
でもね、無理に受けとろうとしなくても、いいんです。
ただ、「いまのあなた」がすばらしいから、それを伝えてくれているのでしょうから。
もしそんな幸運が訪れたら、ぜひニッコリ笑って、「そうなんだ、ありがとう」と伝えましょう。
それで、もう十分です。
あなたのその笑顔が、周りをあたかく照らしてくれるのでしょうから。
今日は、自分の価値や才能は、いつもそこに「ある」もの、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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