「才能」があるがゆえに、私たちは葛藤もするし、悩みもします。
しかし、いつかはそれを受けとり、感謝できるようになるものです。
1.「ある」がゆえに悩むのが才能
昨日の記事では、「ある」がゆえに悩むのが才能、というテーマでお伝えしました。
そこに才能が「ある」がゆえに、悩みもするし、自分を責めたりもしてしまうもの。 - 大嵜直人のブログ
自分の価値や魅力、あるいは才能は、なかなか自分では見えづらいし、受けとりづらかったりするものです。
しかし、それはたとえ受けとれなかったとしても、ずっと「ある」んですよね。
そして、才能とよばれるレベルになると、それはもう息を吐くように自然にしていることだったりします。
それは、意識したり、好きだから、楽しいから、何かメリットがあるから、といった理由ですることとは、少し違います。
別に、「好きだから」呼吸をしているわけでもないですよね?笑
同じように、その人にとっての才能とは、「それをしていることすら気づかない」といった、ごく当たり前であることが多いものです。
鳥が空を飛ぶように、春に桜が咲くように、魚が泳ぐように、自然にしていること。
それが、その人にとっての「才能」です。
しかし、それがあるがゆえに、私たちは悩んだり、自分を責めたりもしてしまうものです。
昨日の記事では、みんなのバランスを取ったり、場の雰囲気を整えたり、といった才能を持つ人の例をご紹介しました。
その人にとっては、調和のとれた場をつくることが、当たり前なんですよね。
けれど、それが叶わなかったときに、深く傷ついたり、「私のせいだ」と自分を責めてしまったりするわけです。
その才能を持たない人にとっては、そんなこと露ほどにも思わないものです。
けれども、その才能があるがゆえに、悩みもするし、自分を責めたりもする。
それが、自分の才能の持つ一面である、というのが昨日のテーマでした。
2.才能はどこに生まれるか
才能が「ある」がゆえに、思い悩み、自分を責めて、罪悪感を抱えたりする。
考えてみれば、それは残酷な話のようにも聞こえます。
だって、RPGか何かみたいに、ゲーム開始時に「よし、このキャラにはこの才能を持たせよう」みたいな、初期設定をして私たちは生まれてくるわけではありません。
もし、そんな記憶がある方がこれを読まれていたら、すいません笑
「才能」とは、心理学においては「gift」と表現されるように、それは与えられるものであり、そして誰かに与えるものです。
それは、私たちの両親、祖父母、もっと先の先祖さまから受け継いだ資質と、生まれたときから与えられた環境によって、つくられるのかもしれません。
ただ、それは自分自身では選ぶことができません。
自分では選んでいないのに、そのおかげで悩んだり、自分を責めたりといったことになるのは、ある意味で理不尽であり、不条理のように見えるかもしれません。
考えようによっては、「もらい事故」のようなものに感じられたり、「だって、私何にも悪いことしてないのに、なんで悩まないといけないの?」と思ったりもするかもしれません。
でもね、少し違った角度から見ると、また違う風景が見えます。
「平和の天使」という例えがあります。
争いをおさめ、場を平和をもたらすことのできる才能を持った、天使がいたとします。
その天使が、この世に肉体を持って生まれてくることになりました。
さて、その平和の天使は、どんな場所を選んで生まれてくるでしょうか。
どんな両親を選んで、生まれてくるでしょうか。
笑顔の絶えない、平穏な家庭でしょうか。
それとも、ケンカや諍いが日常的に起きる家庭でしょうか。
まあ、やはりそれは後者ではないのでしょうか。
その家族に平和をもたらすために。
争いをやめて、笑顔のあふれる家庭にするために。
その天使は、争いのたえない家庭を選ぶのではないでしょうか。
まあ、「平和の天使」といった存在がいるのかどうかは、分かりませんが笑
でも、そうした側面から見ると、才能というものの見方は、少し変わるように思います。
それを必要としている場所に、才能は生まれる。
けれども、悲しいことに、その才能を開花させる前だったり、それを受けとらない人たちがいることで、その天使の望まない現実になってしまうことも、あるかもしれません。
そんなとき、その天使は深く葛藤すると思うのです。
そして、その葛藤や悩みとは、私たちの人生で起こる「問題」で抱える悩みと、同じなのではないでしょうか。
3.出逢わない方が、よかったですか?
才能があるがゆえに悩むし、葛藤もする。
「じゃあ、そんな悩みの種になるのなら、才能なんて、無いほうがいいんじゃないの?」
と、そんな風に思われるかもしれません。
でも、そうとも言い切れないのが、また難しいところです。
これ、パートナーシップとの関係に、よく似ていると思うんですよね。
パートナーシップを築いていく中では、深い喜びを感じることもあれば、さまざまな問題や悩みを抱えることもあります。
ときには、二人の間に別れが訪れることもあったりします。
その別れが自分が望まない別れだったときには、執着したり、引きずったりすることもあるでしょう。
あるいは、別れを告げた側であれば、相手を傷つけてしまったという罪悪感を抱えることもあるのでしょう。
パートナーシップに、葛藤や悩みは尽きないものです。
「こんな痛い想いをするくらいなら、出逢わない方がよかった」
ときに、そんな風に思ってしまうことも、あるかもしれません。
その想いは、どこか、
「こんなに悩むのなら、才能なんてもとから無い方がよかった」
という感覚に、似ているような気がするのです。
話をパートナーシップに戻すならば。
パートナーシップが与えてくれるのは、悩みや葛藤だけでは、ないはずです。
愛される喜び、つながりを感じるあたたかさ、生への深い喜び…そうしたものを、パートナーシップは与えてくれます。
もし、たとえ「こんな痛い想いをするくらいなら、出逢わない方がよかった」と、そんな風に感じることがあったとしても。
私たちは、その痛みを癒し、執着を手放していくことができます。
そして、最後に残るのは、やはり感謝なのでしょう。
「出逢ってくれて、ありがとう」
その感謝とともに、自分が与えられた恩恵の大きさを改めて受けとり、そして相手の幸せを祈ることができます。
「出逢わない方が、よかったですか?」
きっとその問いの最終的な答えは、いつもNoなのでしょう。
「才能」もまた、同じです。
たとえそれが、どれだけ深い葛藤、悩みをもたらしたとしても。
その先に、私たちはその偉大さを受けとるんです。
そして、こんな風に感じるんです。
「私が私でよかった。この才能を与えられた、私でよかった」
そのとき、あなたは周りの多くの人に、あなた自身の「才能」を与えていることに気づくことでしょう。
もちろん、それは気づいていないだけで、いままでずっとあなたがしてきたことではあるんですけれどね。
今日は、「才能」が生まれる場所、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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