週の半ばに訪れた大寒波は、週末には少しだけ緩んだようでした。
それでも気温は低いものの、陽が差してくると温かさを感じられる日でした。
何よりも、吹く風の冷たさの「芯」のようなものが、どこかやわらかに感じられる。
そんなことを感じたのは、この冬で初めてのように思います。
まだ一番寒い時候なれど、もう来週には立春。
「この寒さで春と言われても」という感はあるものの、それでも確実に季節は移り変わっていくようです。
先週は紅梅が咲いているのを見ましたが、今日は白梅。
梅の花の香りに、春を感じながら。
私は嗅覚が人よりもだいぶ鈍い方なのですが、とてもよい香りでした。
それにしても、今年は諸々の草花の開花が、早いように思います。
桜もまた、早いのでしょうか。
まだ、そんなことを気にする時期でもないのですが。
春を待ちわびるようになったのは、いつごろからだったでしょうか。
歳を重ねるごとに、それは強くなるようにも思います。
それだけ、自分の身体を気遣うようにもなった、ということもあるかもしれません。
若いころ、衣替えが苦手でした。
日々の空の移ろい、流れゆく季節を見ていなかった私にとっては、不要なものだったからです。
暑さ寒さを我慢することよりも、衣服を引っ張り出す面倒くささの方が、勝っていたようです。
あのころ、私は何を見ていたのでしょうね。
何も、見たくなかったのかもしれません。
春がやってくると、暖かくなる。
やはり、暖かいことは、生き物である私たちにとって、恩恵の大きなことなのでしょう。
けれども、春を待ちわびるのは、それだけが理由でもないように感じるのです。
春がやってくると、人のこころは不安定になります。
寒かった冬が終わり、喜ばしいことのはずですが、不思議なものです。
「凍りついた心」のような表現があるように、冬は何かと変化の乏しい季節です。
しかし、春は万物が変化していきます。
人は、根源的に変化を怖れる。
だから、春になると人は不安定になるのでしょうか。
そして、いや、それでいて、人は春を待ちわびる。
変わらないでいてほしい。
変わらなくてはいけない。
その相反する力が内在するのが、春という季節なのでしょうか。
そして、人は春を待ちわびる。
何とも、不思議なものです。
春を待ちわびるようになったのは、いつからだったでしょうか。
それは、変わりゆく自分と、変わらない自分と。
そのどちらもを愛でるように、なってきたからなのかもしれません。