母を想うとき、私は不在を想う。それは、母そのものの不在でもあり、もしかしたら、母とともにいたはずの自分の不在なのかもしれない。
冷たい雨は、変わらずアスファルトを濡らしていた。3月10日が、流れていく。
資質や才能の恩恵とは、自由であることと言えるのかもしれない。 まずは、自分の資質や才能がどこにあるのか、自覚することが始まりではあるのだが。
『流れ』がいいときも、『流れ』が悪いときも、できることは、身を任せることだけかもしれない。
加藤登紀子さんの珠玉の名曲、「時には昔の話を」に寄せて。加藤登紀子さんは母がよく聴いていて、実家に何枚かCDが転がっていたことを思い出す。
いったい、記憶というのは、人間だけのものだろうか。このキリンのモニュメントや園庭、道路や、あるいは空や星も、その記憶を持っているのではないだろうか。ふとしたときに、それらが持つ記憶というものが、ふっと立ち現れるような気がする。
すごもりむしとをひらく。虫も、とかげも、カエルも、巣穴から這い出てくる陽気。久しぶりに見る春の光と、まだ少し冷たさの残る風を浴びて、生きものたちは大きく伸びをするのだろう。