少し風が出てきましたね。
一昨日の新月の暗い夜から、湿っぽい言葉が続きました。
もう少しだけ、マリアナ海溝に寄せた言葉にお付き合いください。
大丈夫だよ。
あなたは生きているだけで価値がある。
何にも悪くないよ。
何にも怖がることないよ。
サルベージした22歳頃の自分に、またそんな言葉をかけていたら、ふと、もっと昔のイメージが浮かんだ。
ぽこん、ぽこん。
あれは、小学生くらいのときの壁当ての音だ。私の家は共働きだったが祖母が近くにいたため、鍵っ子ではなかった。学校から帰った私は、いつも家の前の壁に野球のボールを投げては、跳ね返るボールを取っていた。壁に縦の長方形を9分割した模様があり、ちょうど野球のストライクゾーンに見立てて。
妄想の中で、私は当時の小松辰雄さんになって先発マウンドに上がったし、郭源治さんになって9回裏のピンチに登板したりしていた。時に漫画の主人公になって、ライバルたちを抑えた。毎日毎日、日が暮れるまで延々と、延々と。投げては取って、取っては投げて。
なぜだろう。楽しかった記憶と同時に、寂しさを思い出す。
なぜあんなにも飽きもせず一人壁当てをしていたのだろう。
思い返すと、当時から私は複数人用のボードゲームを一人で遊ぶような子どもだった。ボールの壁当ても、一人。ボードゲームも、一人。
一人遊びは好きだったのだろうけれど、一緒に遊ぶ友だちはすくなかったような気がする。私の心の枯渇している部分の孤独や寂しさは、思ったよりずっと昔から抱えていたのかもしれない。
一緒に遊ぼう!と外界にアプローチするのが怖かったのかな。キャッチボールする相手がいなくて寂しくなかったのかな。イメージの中の小さな自分に聞いてみると、一度草野球に入れてもらったら、みんな少年野球に入っている中、一人とても下手で周りにからかわれ、なじられ、怖くて嫌になったと言っていた。
そんなこと、言われて久しぶりに思い出したよ。
ずっとずっと寂しかったんだね、君は。
大丈夫だよ。
誰が何を言おうとも、君が好きなことを誇っていい。
空振りしていい。エラーしていい。
壁当てを好きなだけしたらいい。
一人でボードゲームをするのも、何も恥じることはない。
本当だとも、僕が味方だ。
だから楽しければ壁当てすればいいし、寂しければいーれーて!って、その人懐っこい笑顔で校庭に走っていけばいい。エラーしたって、三振したって、笑えばいい。
それを聞くと、くせ毛のたれ目をした小さな私はとまどいながら、
へたなのはいやなんだ。
はずかしいから。
みんなにめいわくをかける。
でも、ほんとはみんなであそびたいな。
と答えた。
多分、きっと、それは本心なんだろう。
それでも、小さな私は少しはにかみながら、どこかに走っていった。壁当てに行ったのか、ボードゲームを取りに行ったのか、校庭に行ったのかは、分からない。
ぽこん、ぽこん。
あの場所から始めればいい。
何度でも。
何度でも。
何度でも、何度でも。
大人になった私は、同じようにこうして日々ぽこん、ぽこんと投稿するようになった。
でも、今度は一人ではない。
投げただけ、ボールは返ってくる。
今は笑っている。
2017.5.17
振り返ってみると、私にとって長い間解決できなかった問題は、「寂しさ」だったように思います。
「寂しさ」とは、人間が生れ落ちた瞬間から感じ始めると言われるくらい、古い感情です。絶対的に安心できる母親の胎内から、切り離された瞬間に始まると言われる「寂しさ」。
私はその感情をずっと抱えてきたにもかかわらず、蓋をしてきました。
感情は抑圧すると、不思議とそれを感じさせる出来事が周りに起こります。
寂しいと感じることに蓋をすると、なお寂しさを覚える出来事が。
怒りを感じることを封じると、なぜか怒らざるをえない出来事が。
悲しみを感じることを禁じると、悲しみの琴線に触れる出来事が。
それは往々にして不快に感じる問題としてやってきます。一見して不快な問題なそれらは、私たちに何かを示唆してくれるギフトなのかもしれません。
私たちは、ある感情だけを感じなくすることはできません。寂しさ、怒り、悲しみといったネガティヴな感情を避け、感じないようにしていると、その反対の親密感や活発さ、喜びといった感情も感じられなくなります。
もしもそのギフトによってネガティヴな感情を感じられたなら、その反対の感情もまた多く感じられるようになり、世界はまた色鮮やかになることでしょう。
上の言葉にあるように、幼少期から寂しさを持って抱えていた私は、20歳過ぎに立て続けに別離を経験しました。自覚はありませんでしたが、私は寂しいという感情を切り、極度に精神的に自立しました。
何でも自分でこなさないといけない。
他人を頼ってはいけない。
弱みを見せてはいけない。
失敗してはいけない。
正しくないといけない。
それは、新しい土地で働き始め、一人暮らしを始めた私にとって必要なものでした。
自立に振れると、人はなおさら感情を感じづらくなります。「寂しさ」やその他のネガティヴな感情を感じることが怖くて、それに蓋をするために自立に振れることは往々にしてあるようです。自立に振れることは、「寂しさ」がオーバーフローしていた私にとっての盾と鎧でした。
ただ自立に振れることは、社会生活の上ではメリットでもありました。社会人として仕事を覚えていく上では、もちろん自立していることが有利に働くことが多いです。しかし、どれだけ仕事を覚えて、周囲から評価されたとしても、自立に振れ過ぎた状態では虚しさしか残りません。
やがて私の周りの世界は、完全に色を失っていきました。
私は自覚なくも燃え尽き症候群に陥り、職を変えながらも、まだ自分に鞭打って頑張ろうとしました。
けれど、正しさにこだわる自立の行きつく先は競争と勝ち負けです。どこまでも善悪正誤にこだわる私は、会社、プライベート、家庭・・・対人関係の全てがうまくいかなくなりました。
絶望の中、奇跡のような出会いに導かれ、私は自分を癒すことを始めました。
別離に傷ついた心に向き合い、自分が何を感じているのかを書き出たり、自分の好きなことを思い出したり、身体を鍛えたり。
そんなことを始めてから、1年ほどが経った頃、極度に感情的に不安定になりました。
怒り、悲しみ、寂しさ、痛み、恨み、辛み、憎しみ、罪悪感、無力感、惨めさ、嫉妬、恥ずかしさ。苦しみ。
血しぶきのように噴き出してくるネガティヴな感情が抑えられず、通勤の車や会社のトイレでなぜか涙が止まりません。訳も分からず、ただ涙の流れるままにしていました。
別離から15年間、封印してきた涙だったのかもしれませんし、もうそのままでは生きられなくなった古い自分を洗い流そうとしていたのかもしれません。
やがて2週間ほど経ったあと、朝の通勤の車中で嗚咽とともに出てきた言の葉は、
寂しいよ
助けてほしい
でした。
そして、その最も奥底にある感情に気付くと、不思議なことに穏やかな安心感が芽生えました。
陰極まりて陽となす。
私の心の奥底にぽっかりと開いていた「寂しさ」という穴は、他人に埋めてもらうものではなく、自らが寄り添うことで埋まるものでした。
寂しかったんだね
大丈夫だよ
もう蓋をしたりなんかしない
一緒に感じ尽くそう
それが私の転換点でした。
正しさよりも、互いの笑顔を。
無理をするよりも、助けを。
虚勢を張るよりも、正直さを。
怖いはずの世界は、盾と鎧を脱いで裸足になっても安全な世界でした。
灰色だった世界は、鮮やかな色に満ちあふれていました。
そして、以前の灰色だった世界や、重かった盾と鎧や、寂しかったあの少年は、こうして人前にさらすと輝きだすのです。似たような経験をされた方には共感を頂けるかもしれませんし、今まさに不快な渦中におられる方には一つの灯りをともせるのかもしれません。
夜明け前が最も暗いと言われます。
でも大丈夫。
止まない雨がないように、明けない夜はありません。
長々とお付き合い頂きありがとうございます。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。