5月の終わりに、息子と娘の運動会があった。
今年の5月は、梅雨入り前とは思えぬ強い陽射しの日が続いていた。
そのうだるような快晴の下、初めて体験する小学校の運動会。
私の頃は、10月ごろの開催と相場が決まっており、夏休み明けの厳しい残暑の中で諸々の準備や練習をしていたように思うが、どうも最近は5月に実施するところも多いようだ。
グラウンドを埋める子どもたち、そして湧き上がる歓声。
いまは組体操よりもダンスなどの演目がメインになっていたりと、時代を感じる。
けれども変わらないものもあり、徒競走やリレーはいつの時代も花形だ。
4人か5人一組で、トラックを駆け抜ける小さな子たち。
そしてそれを応援する、幾重にも重なった声。
けれど、楽しいはずの光景に、私は違和感を覚えていた。
胸を締め付けられるような息苦しさがあり、なぜか涙が流れた。
それが何なのか分からないまま、運動会は盛況のうちに、午前中で閉会した。
息子の通う小学校も、今年から午前中で終わりになったらしい。
レジャーシートを広げて校庭でお弁当を食べるのは、運動会の風景ではなくなるのかもしれない。
時代は流れる。
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そうこうしているうちに、訳も分からず気分が塞ぐことが多くなった。
運動会の翌日には日本ダービーを現地で観戦して、会いたかった人たちにも会って、やりたいことをし過ぎた反動かとも思ったが、どうやらそれだけでもないらしい。
こういうときに限って、「感情を揺らすけれども本質ではない事象」が周りで起こるから、ややこしくなる。
いくら感情がささくれ立っても、それは本質ではない。
見るべきは、自分の内面であり、そこに答えは必ずある。
少しずつ向き合った先に出てきたのは、怒り。
ノートに書くことでその感情を感じ尽くしていくと、その先にあったのは、思いもよらない言葉だった。
「なんで、僕をもっと足を速く産んでくれなかったんだ」
愕然とした。
齢38にもなって、そんなことを私は心の奥底に燻らせていた。
親への、怒り。
それも、自分の人生の不幸を全て親のせいにするという、呪詛のような言葉たち。
それは、思春期における反抗期がないままに、両親と別れることになってしまった私にとって、「親に対する怒り」というのは、禁忌ともいえる感情のように思う。
悲しい別れをした親に、そんな感情を持っては、絶対にいけない。
第一、親に失礼だし、死者に鞭うつというのか。
産んでくれたこと、育ててくれたことに、感謝するべきではないか。
「倫理的に」「常識的に」「普通に考ると」そうなのだろう。
けれど、そうした枕詞は、自分の本音とは全く関係がない。
そして、人生における停滞と、さまざまな問題が引き起こす葛藤は、その両者の乖離から始まる。
認めたくもないが、私は親に対してずっとその想いを抱えてきたことに気づいた。
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運動神経、あるいは足の速さ、というのは子どもの社会にとって、最も大切な要素の一つである。
大人になればこそ、「運動神経悪い芸人」のように、それを笑いに変えることもできるのだろうが、子どもの社会においては残酷なほど、その基準の持つ意味は大きい。
至極残念なことに、私は足が速い方ではなかった。
私が自分の感情に向き合い始めた頃、仲間に入れてもらえなくて寂しそうにしていた小さな私に出逢ったことがあった。
ずっと虚ろな眼をして一人寂しく壁当てをしていた、たれ目でくせ毛の小さな私を抱きしめたときから、私は「寂しさ」という感情を取り戻していった。
おそらく、両親との突然の別離というショッキングな出来事から身を守るために、私はそれまで「寂しさ」という感情を切っていたのだろう。
それを感じることができるのに、15年以上の歳月を必要としたのだと思う。
今回は、そのもう一つ奥の蓋を開いた気がする。
「寂しさ」の裏にいたのは、「両親への怒り」だった。
どうして、 もっと足を速く産んでくれなかったのか。
そうしたら、こんな「寂しい」なんて思わなくて済んだのに。
もっと、人気者になれたかもしれないのに。
もっと、違う学生時代を送れたかもしれないのに。
もちろん、両の手にこれほど有り余るものを与えてもらいながら、甘えも勘違いも甚だしいバカバカしい思いだとは分かっている。
それでも、それでもそれがあるのに、「それがない」と言い張って澄ました顔をしたところで、どこかでボロがでるに決まっているではないか。
認めよう。
降参しよう。
齢38にもなって、親に対して小学生のような理不尽な思いを持っていることに。
ちょうど今日、今年初めて蝉の声を聞いたので、息子に連れられて蝉取りに出かけたのだが、残念ながら今日は一匹も捕まえることができなかった。
「おとうのせいで捕まえられなかった!」
と理不尽に悪態をつき癇癪を起こす息子をなだめながら、ああ、これは小さな俺なんだな、と深く納得した。
38にもなって、ようやく親に中指立てて、ようやく精神的な自立への道を歩き始めたのが、私。
それが、私。
だって、仕方がない。
私なんだから。
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不思議なもので、あるものを認めてしまうと、楽になる。
それをすまし顔でないことにしていると、どんどん辛くなる。
認めてしまえば、笑えるのだ。
私も、「親への怒り」に気づいた途端、憑き物が落ちたように楽になった。
まだ運動会で活躍できなかったことを根に持って、親に怒ってるんだぜ。38にもなって。それにしても、ウケるよな笑、って。
コンプレックスも、理不尽な感情も、酒の肴にでもして笑ってしまえ。
それもこれも、私なのだから。
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あの日、うだるような陽射しの下、走っていた子どもたち。
誇らしげに先頭を走る子も、
必死にそれを追いかける子も、
恥ずかしそうに最後方を走る子も、
どの子も、等しく輝いて見えた。
それは親という立場になったから、そう思うのかもしれない。
けれど、どの子も、等しく「私」なのだと気付いた、ということのなのかもしれない。
あなたはわたし。
わたしはあなた。
がんばれ、がんばれ。
みんな、がんばれ。
あの風景を思い出すと、私は心の中で皆に等しく声援を贈る。
それはまぎれもなく、遠いあの日、必死で最後方を走る小さな私へのエールなのだろう。
言うまでもなく、それはいまの私へのエールでもある。
がんばれ、がんばれ。
周りなんて気にするな。
ただまっすぐに、自分のレーンを走れ。
そのまま、駆け抜けろ。