「感情」を感じることは、もっとも基本的な癒しの方法です。
けれども、私たちは「自立」していく中で、「感情」を切り捨ててしまうものです。
そうしたプロセスと、「感情」の性質について、お伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.感情を感じることは、過去を手放して前に進むための基本
感情を感じ、それが変容するまで感じきると、ネガティブなものはポジティブになり、さらに高まります。
つまり、感情を感じることはヒーリングの基本なのです。
あなたが感じている痛みは幻想であり、正しくないのですが、体験したとおりをみずから感じていくことが大切なのです。
ネガティブな感情が消えたとき、あなたはまったく新しいレベルにいることでしょう。
感情を感じるたび、あなたは否定するのをやめ、過去を手放して自分自身を先に進めることになります。
そうしてあなたは、ふたたびひとつになるのです。
私たちが「自立」の段階へと成長するまでに、何千何万もの感情を切り捨ててきたのです。
自分の感情とのつながりを断つことは、ヒステリー症状とよく似たものです。
ヒステリーとは多くの感情を感じているように見えて、じつは真の感情を避けているのです。
真の感情にすすんで気づき、体験していくと、生気を失ったような無気力な状態から脱出して、パートナーシップをもつことができます。
そこではよろこびを体験し、受けとることができるのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.324
2.「感情」を感じることは、大きな癒し
今日のテーマは、「感情」でしょうか。
カウンセリングとは切っても切り離せない「感情」について、考えてみます。
「感情」とは、不思議なものですよね。
浮かんでは消えていく、自分ではコントロールできないもの。
それは、日々移ろいゆく空の色のようでもあります。
空の色に正解も不正解もないように。
「感情」にも、正誤善悪はありません。
浮かんでくる「感情」は、ただそのままにしておくしかないのでしょう。
しかし、そこに色をつけてしまうのが、私たちの性(さが)でもあります。
「この感情はヨシ、この感情はダメ」と色づけをすると、途端に苦しくなります。
ダメ、とされた「感情」はくすぶり、どこにも行き場がなくなり、心の奥底に澱のように沈んでいきます。
そうした「感情」は、どれだけ時間が経っても、なくなったり消えたりすることはありません。
それどころか、抑えれば抑えた分だけ、その「感情」は大きくなります。
それは、拗ねた子どものように「こっちを見てよ!」と叫んでいるのかもしれません。
だからこそ、「感情」を感じることは、大きな癒しになります。
それだけで、ヒーリングであるといえます。
ある種のすぐれた音楽、舞台、あるいは映画、ドラマ。
そうした芸術は、私たちが心の奥底に閉ざしていた「感情」の扉を、開いてくれます。
登場人物や物語に、私たちは自分を投影し、その「感情」を味わいます。
それゆえに、大泣きするような映画を見た後は、とてもスッキリした感じがしたりします。
自分では流せなかった「感情」を、そこで感じて、流せたからといえます。
カウンセリングもまた、同じことがいえます。
人に話をすることは、最も根源的で、最も効果的に「感情」を感じる方法のひとつです。
もちろん、ただ何でも話をすればいい、というわけでもなくて、話をする際に、
「こんなこと話したら、呆れられてしまう」、
「引かれてしまう」、
「バカにされそう」、
「うまく話さないといけない」、
といった意識がはたらいてしまうと、なかなか安心して話しをすることは難しいのでしょう。
また、理性に意識が向いてしまって、その分「感情」を感じることは難しくなります。
私がカウンセリングでお話をお伺いするとき、いつもそのことを忘れないようにしています。
ただただ、気兼ねなく、自由にお話しいただけるような雰囲気をつくること。
ただ、話すこと。それだけで、癒しは起こるもの。
あらためて、それを忘れないようにしたいと思っています。
3.自立する中で切ってきた「感情」をとりもどす
人は「自立」していく過程で、感情を切ってしまう
「感情」は、それを感じるだけで癒しである。
裏を返せば、「感情」とはそれを抑えたり、切ってしまうことが、「癒されない状態」を引き起こしたりするといえます。
つなり、「感情」を抑圧することが、諸々の問題を引き起こす。
そうならば、なぜ私たちは「感情」を抑えてしまうのでしょうか。
日々移ろいゆく雲の形のように、ただただ、それを流していければいいのですが、なかなかそうはいかない。
なぜ、「感情」を感じないように抑えてしまうのか。
一つの原因が、「自立」にいたる過程です。
「依存ー自立-相互依存」という、私たちの心の成長プロセスのなかの、「自立」です。
「自分には何もできないから、誰かになんとかしてほしい」というのが、「依存」の状態です。
「依存」は他人に振り回されるので、辛いし、しんどいものです。
そうしたネガティブな「感情」を味わいたくないから、私たちはそれを封印して、「自立」していきます。
「自分で何でもやる、もう誰にも頼らない」、と。
その過程で、今日の引用文の通り、何千、何万という膨大な「感情」を切ってしまうわけです。
「自立」すると、自分が強くなったように見えますし、周りからもそう見られることが多くなります。
しかしその裏では、「依存」時代のネガティブな「感情」を怖れる、臆病な自分がいるわけです。
「もう、あんな思いは二度としたくない」、と。
引用文にあるように、それは一種のヒステリーともいえます。
自分の感情とのつながりを断つことは、ヒステリー症状とよく似たものです。
ヒステリーとは多くの感情を感じているように見えて、じつは真の感情を避けているのです。
バウムクーヘンのような、感情の層を抜けて
私たちにヒステリーを起こすほどの、「依存」時代のネガティブな「感情」。
それは、もう蓋に触れることすら怖いくらいの、「感情」なのかもしれません。
しかし、どんな「感情」も、ずっとそこにとどまることはできません。
それは、天気と似ています。
どんな好天も、ずっと続くことはありません。
(サハラ砂漠の乾燥地帯で、このブログを読んでいる方がいらっしゃったら、すいません笑)
どんな曇天も、いつかは晴れ間が見えます。
私たちが逃げなければ、どんな「感情」であっても、ずっと感じ続けることはできません。
「悲しみ」という「感情」を感じきると、その下から「寂しさ」という「感情」が出てきたりします。
その「寂しさ」を感じていると、その下から「親密感」が出てきたりするかもしれません。
その「親密感」を抜けると、今度は「怒り」が出てきたりします。
いくつもの層が重なったバウムクーヘンのようになっているのが、「感情」といえます。
その「感情」を一つずつ、一つずつ感じていくと、必ず「ほっ」と落ち着く場所が出てきます。
それは、ぬるめの温泉のような、そんなやわらかな場所です。
そこに触れると、とても安心するんです。
そうしてあなたは、ふたたびひとつになるのです。
引用文のこの部分が、そんなイメージです。
もちろん、そこに触れたからといって、ずっとそこに浸っていられるわけではありません。
そうできれば、いいんですけどね…
気持ちのいい季節も、いつかは過ぎ去り、また真夏の猛暑や厳しい寒さの冬が訪れるようなものかもしれません。
ただ、そうした安心できる場所が、自分のなかにあること。
それを体感すると、どれだけ「感情」が揺れることがあっても、「でも、大丈夫」と安心できるようになったりします。
決して、イヤな感情や、辛い感情がなくなるわけではありません。
嵐のように揺れる海面があっても、その海の底は眠っているように静かなように。
その静けさを知っている、といえるでしょうか。
そうしたプロセスが、「自立」を手放していく過程だともいえます。
もちろん、一人でそうした「感情」を感じきるのは、難しいし、怖いものです。
無理に一人でやろうとしなくても、大丈夫です。
人を頼って、いいんだと思います。
気兼ねなくお話しいただくことで、その「感情」を感じて、癒していける、そんなカウンセリングを、ご提供したいと思っています。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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