気持ちのいい秋晴れの週末ですね。
朝の清々しい風を浴びるのも、夜の透き通った空気も気持ちがいいものです。
世の中には本当に多くのお仕事がございますね。
仕事は与えることとは申しますが、誰かの仕事が誰かの役に立っている、奇跡のようなことが起きるのが仕事ですね。
今日はそんなテーマを、日曜日につきお馬さんに寄せて。
杉本 清氏。
元関西テレビアナウンサー。
「杉本節」、「実況詩人」、「関西競馬実況の神様」とも称された競馬実況で人気を博した。私が競馬中継を見始めた頃、関西圏G1の実況は杉本アナだった。
著書で「咄嗟に思いついたものが多い」と書かれていたが、時代の名馬たちを彩ったフレーズは、今もそのレースの記憶を鮮やかに蘇らせる。
「菊の季節に桜が満開!サクラスターオーです!」
「わずかに内オグリキャップか!バンブーメモリーか!負けられない南井克己!譲れない武豊!」
「大地が!大地が弾んでミスターシービーだ!」
「見てくれこの脚!見てくれこの脚!これが関西の期待テンポイントだ!」
「弟は大丈夫だ!弟は大丈夫だ!10年ぶり、10年ぶりの3冠馬!ナリタブライアン!」
そして1999年の宝塚記念の実況。
「今年もまたあなたの夢が、そして私の夢が走ります。私の夢はサイレンススズカです。」
前年の同レースを圧勝。その後天皇賞・秋で競争中に故障を発生し、鬼籍に入った当馬への弔意と慕情と敬意と。
実況にアナウンサーの私情を挟んではいけない。ましてレースに出ていない馬の名前を実況に入れるなど・・・
そんな暗黙のルールなど、何のその。あふれる愛があれば、そんな常識はひょいと飛び越えられる。
好きで好きで仕方がないことを仕事にするって、素晴らしい。
仕事が好きで好きで仕方がないって、素敵だ。
第58回、宝塚記念。
今年もあなたの、そして私の夢が走ります。
2017.6.25
ある話では、いま小学校の低学年の子どもたちは、これから15年後にその半数が、今現在には無い職業に就く可能性が高いそうです。今ある職業は、AIなどのコンピューターにとって替わられて、われわれ人間は今無い職業に就くということだそうですが、15年後というと、結構近い未来ですね。
15年後や半数という数の真偽は別として、これからの世代の方が新しい職業を生み出し、それに就くということは間違いのないことのように思えます。今現在にしても、過去では考えられなかったことを仕事にされている方は多くいらっしゃいます。
蒸気機関の発明が飛脚という仕事を過去のものにしたり、あるいは通信手段の発達が電話交換手という仕事を生み出したり、テクノロジーの進歩がそれを加速させているのだとは思いますが、決定的だったのはインターネットのように思います。それは時間と空間の概念を破壊しただけではなく、権威としての情報をフローさせ、表現者と観客の境界をなくしました。私もその恩恵でこうして情報発信をさせて頂いています。
さてそのような大変な時代に、鍵になるのはやはり「好き」なことのように思えます。
もしかすると、競馬実況もテクノロジーの発展によりAIに取っ替わられるかもしれません。すでに文字ではなく音声で実況する競馬ゲームも巷には出ています。
AIBOやPepperの例を引くまでもなく、人間特有の能力と思われていた会話にしても、AIとビッグデータの集積は飛躍的なテクノロジーの発達を急速に促し、人間と機械の領域を曖昧にしていきます。アニメやドラマのキャラクターとパーソナルな会話をしたり、繁華街の飲み屋でAIのおネエちゃんを相手にクダを巻く未来はそう遠くないのかもしれません。
けれど、仮に競馬実況がAIに取って替わられたとしても、私はお金を払ってでも杉本アナのような方の実況を聴きたいと思います。ときに不正確であったとしても、「競馬が好き」という熱量に共感するからです。
かつてスコットランドに生を受けた哲学者・経済学者のアダム・スミスは、経済主体が自らの利益を最大化しようとする行動こそが、結果的に全体の利益になることを「神の見えざる手」と称しました。同じように、独立した各々の個が好きなことを追及すること、それは結果的に社会全体にとって有益なことのように思えます。
今日は少し話が大きくなり過ぎました。
まずは自分の「好きなこと」を見つめること、からでしょうか。私はこうして書くこと、お酒と美味しいもの、人のココロ、お馬さんが好きですので、日々それを綴っていければと思っております。
実は、今日で開店1ヶ月を迎えることができました。
ひとえにご縁があってアクセスして頂けるお客さまのおかげです。
深く御礼申しあげます。誠にありがとうございます。
どうぞ、本日もごゆっくりお過ごしください。