堀江貴文さん・落合陽一さん共著「10年後の仕事図鑑」(SBクリエイティブ)の書評を。
インターネット、AI(人工知能)が大きく変えてゆく、これからの社会のありようについて綴られた刺激的な一冊だった。
働き方、なくなる仕事・変わる仕事、生まれる仕事・伸びる仕事、お金の未来、幸福について…さまざまな観点から、堀江さんと落合さんがそれぞれの視点で未来を語っておられる。
ことAIと未来というと、「AIが人間の仕事を奪う」というようなネガティブなイメージが先行するきらいがあるが、電話交換手しかり、駅の改札の切符を切る仕事しかり、馬券を販売する窓口の販売員しかり、テクノロジーが人間のやっていた仕事を代替するのは今に始まったことではない。
それが現在においては、AIが絡むことでこれまで人間にしかできないと思われていた仕事(本書の中の例に倣うなら、「管理職」・「営業職」・「エンジニア」・「弁護士や会計士などの士業」・「医師」・「クリエイター」など)まで、その影響が加速度的に及ぶことになった、ということなのだろう。
しかし、そもそも論として、堀江さんの未来を観る視点こそが、大切なのだと感じる。
僕は未来のことを考えるのが嫌いだ。未来を想像したところで、その通りに実現することなんてありえない。未来を想像して怯えるなんて暇人のやることだし、いまを懸命に生きることが大事だと思っている。
しかし、世の中の多くの人は、AI(人工知能)に仕事が奪われていく未来を肯定できないらしい。AIが単純労働を代替し、人間が好きなことだけをやって自由に生きられることを想像できないようだ。
でも、よく考えてみてほしい。1度きりの人生に、不安を持ち込むことに何の意味があるのだろうか。今この瞬間に全力で向き合い、心の底から楽しむことが、命を与えられた私たちの使命ではないのだろうか。僕には、未来を悲観して足をすくめている時間など、1秒たりともない。
「10年後の仕事図鑑」 p.2.3
だいぶ緩んではきたものの、私もまだ考えたところで分からない未来を思い煩う時間がある。
そうした不安に時間を潰すよりも、「今この瞬間に全力で向き合い」、「心の底から楽しむ」こと、そのマインドをもっと徹底していきたいと思う。
AIが人間のしていた単純労働を代替する、という点に関して、落合さんは「奴隷制のない古代ローマ」という表現をされていて、とても腑に落ちた。
AIの時代は古代ローマに似ているかもしれない。古代ローマに奴隷制度が存在したが、その役割をある程度AIが果たすというわけだ。
(中略)
「研究」のルーツも、古代ローマかギリシャの貴族層が余暇時間をつぶすためにはじめたことにある。ほかにも音楽など、貴族が考えることは大体が遊びを元にするアートの追求だ。
研究は仕事の一部だと考えられているが、究極的にはライフスタイルの一部ということになる。だから、堀江さんが言う「遊びの延長戦で飯を食えるようになる」という考え方にも、「研究と修業はワケが違う」というのも、非常に納得がいく。
同上 p.69
「AIに仕事が奪われる」のではなく、「AIが人間のしていた仕事を代替してくれる」という捉え方。
古代ローマの貴族たちがしていた「遊び」=「研究」。それこそが、今後の社会において人間が果たす役割だという。
そしてその「研究」のための鍵となるのが、「好き」という情熱である。
これから「好きなこと」を見つける際には、「収支」などの打算を捨てて考えることだ。なぜなら「それが仕事になるか」「ペイするか」なんて、未来になってみないとわからないからだ。
ユーチューブやツイッター、インスタグラムなど、プラットフォームは揃っている。
「未来が予測不可能」「将来は不確定要素に満ちている」なんて、嘆く必要はまったくもってない。僕たちがなすべきこと。それは社会の慣習や常識にとらわれて打算に走り過ぎることではなく、自分の「好き」という感情に、ピュアに向き合うことなのだ。
同上 p.60(強調部は本文のまま)
そうなのだ。
どれだけ未来が不確かで予測できないものであろうと、コンパスは私たち自身の胸の内にあるのだ。
「これが好き」という、心震わせるものに向き合うこと。
それこそが、これからの未来を生きるのに必要なことである。
あらためて、それを教えてくれる良書だった。