さて、昨日お話しした凱旋門賞という頂への挑戦は、残念ながら叶いませんでした。その夢は、来年以降に持ち越しされることになりました。
勝ったエネイブルは、史上初めて3歳牝馬にしてキングジョージと凱旋門賞を勝利したことになります。歴史的な女傑の誕生をこの眼で見られたことは、眼福とするべきでしょう。
しかし祭りの跡の寂寥感と悔しさとが私の心に残っております。
昨日書いた応援の言の葉を成仏させるため、どうかお付き合いください。
1969年のスピードシンボリから始まった日本馬による凱旋門賞への挑戦。
それから半世紀。18頭のべ20回に及ぶ駿馬の挑戦を以てしても、未だ世界最高峰へのレースの頂は未踏の地のままである。
1999年、エルコンドルパサー。
前年3歳にしてNHKマイルカップとジャパンカップを制した異能の馬は、世界最高峰のレースに照準を定め明け4歳早々に渡仏する。長期滞在で欧州向けの馬体に鍛え上げ、当地で3つのレースで2勝を挙げて凱旋門賞に挑んだ。
ゲームの中でしかその名を見ることのなかったレースに、活躍を見てきたスターホースが出走する偉業に胸を高鳴らせたのを覚えている。
蛯名騎手を背に、最内枠からのスタート。マークを避け果敢に先陣を切ったが、ゴール前50mで欧州の誇り・モンジューに僅かに差されて惜敗。一世一代の大舞台で、乾坤一擲の逃げで勝負に出た陣営の度胸が称賛されただけに、半馬身差が恨めしかった。
あれから18年。
オルフェーヴルの黄金の捲りも、ナカヤマフェスタの火の出るような叩き合いも、頂点にはあと一歩届かなかった。
抵抗と葛藤は大きいほど、カタルシスもまた大きくなる。けれど、もうそろそろ解放されも、いい。
不利な条件、苦戦必至の情報は数あれど、奇跡は信じたものに訪れる。
第96回、凱旋門賞。
ダイヤモンドは砕けない。
2017.9.1
敗戦は失敗ではありません。
挑戦を続けることを止めた瞬間に、それは失敗となります。
挑戦を続ける限り、本質的には失敗することはないのです。
けれど挑戦者は孤独です。
周囲からの毀誉褒貶に惑わされることもあるでしょう。
成功すれば大統領、失敗すれば恥晒し、と。
夢を追うならば、必ず一人になる瞬間があります。
そこで孤独が、批判が、評価が怖くて足を止めてしまうことこそが、失敗なのかもしれません。いえ、たとえいっときそうなったとしても、また歩き出せばそれも失敗ではなく糧となります。
たくさんの敗戦の痛みを、知る。
どうしようもない孤独の寂しさを、味わう。
周りの毀誉褒貶に揺れながらも、己を信じる。
そうした歩みの先には、いつしか自分と同じように、孤独を経験してそれでも夢を楽しそうに語る仲間、同志に出会えます。それは探し求める、というよりは、出会いが与えられる、という表現の方が合っているかもしれません。
いつしか、その夢は一人の夢からみんなの夢になります。
犠牲や我慢ではなく「仲間の喜びのために」出すエネルギーは、「自らのみのために」出すエネルギーと比較にならない力を持ちます。その力を持ったとき、夢は叶うのが当たり前になるのかもしれません。
手厚く負けたときこそ、顔を上げて、胸を張って、歩こう。
結果としての成功よりも、挑戦者と、挑戦することを称えよう。
奇跡は、信じた者にのみ訪れる。
終わらない夢を見よう。
いつか遠きロンシャンの空の下、われわれの夢が先頭を駆け抜けるその日まで。