大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2頭と2人 ~1996年スプリンターズステークス 雑感

昨日から降ったり止んだりと、ぐずついたはっきりしない天気ですね。 

足の取られるぬかるんだ悪い馬場よりは、良馬場で走らせてあげたいと思うのがやはり人情ですよね。

今日も日曜日につき、サラブレッドに寄せて綴ってみたいと思います。 


 

1996年、スプリンターズステークス。

北極点と赤道を結ぶ子午線長の10億分の1、1センチメートル。電撃のスプリント戦とはいえ、1200メートル=12万センチメートルの膨大な距離を駆け抜けた2頭の差は、それだった。ハナ差と表記される中でも最小単位の差。

フラワーパーク、田原成貴騎手。

エイシンワシントン、熊沢重文騎手。

二人の心境を慮ると、写真判定が出るまでの時間は永遠に思えた。

かつて、テレビか雑誌のインタビューで、田原騎手が「直線で馬体を併せて追い比べになった際に、ゴール前の一完歩が伸び切った瞬間に機種が脱力すると、馬の鼻面がもうあと数センチ伸びるんだよ。」というようなことを語っていたように記憶している。

あの直線で田原騎手が「脱力」したのかどうかは分からない。

1センチの差が何であったのか、確定ランプが灯った瞬間に右手を挙げた田原騎手にはわかるのか。それとも唇を噛んだ熊沢騎手にこそ理解できるのか。レースの結果は非情だ。

 

あれから20年近くが経ったが、熊沢騎手は障害レースでも乗れる貴重な騎手として、いまも現役を続けている。

田原騎手はというと、調教師に転身後、薬物と傷害で3回桜のマークにお世話になったが、数年前に海外バンドのボーカルとして活動しているという噂が流れた。

ここ一番の大仕事を請け負う職人と、破天荒な稀代の天才。私の大好きな二人の騎手。

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2017.10.1


 

陸上競技の世界にも100m走とマラソンがあるように、現在中央競馬で行われるレースは1000mから3600mまでの距離で行われています。短い距離を走るのが得意な馬、反対に長い距離に強い馬など、さまざまな馬がいます。その距離適性は血統やトレーニング、体格、そして気性などに影響されるといわれるのですが、その特性を見抜いて適性のあるレースの選択をすることが調教師の大事な仕事の一つです。

そして競馬の世界では、1200m前後の短い距離を得意とする馬をスプリンター、1600m前後の距離が得意な馬をマイラー、2400m以上の長距離を主戦とする馬をステイヤーと呼びます。

今日の「スプリンターズステークス」。

その名の通り、短い距離を得意とする馬・スプリンターのナンバーワン決定戦です。以前は12月の第3週で施行されていました。冬の暮れの気ぜわしいさなかに、冬枯れの中山競馬場で行われる電撃戦は趣がありましたが、今はレース体系の変更で9月4週もしくは10月1週に開催され、秋のG1戦線の開幕を告げます。

 

さて、1996年のスプリンターズステークス。

同年の春にスプリントG1に生まれ変わった高松宮杯を制していたフラワーパークが1番人気。一方のエイシンワシントンは3番人気でしたが、春先の不調だったものの、前々走マイルチャンピオンシップが3着、前走CBC賞が1着と、秋を迎えて完全に充実期に入っていました。

最高の仕上げを施された2頭の馬を、経験と技術を駆使した二人の騎手が操るデットヒートは見応え十分でした。

1分8秒8のタイムで両馬鼻面を並べてゴール板を駆け抜けた後に待っていたのは、その何倍の長い長い写真判定を待つ時間でした。

もう同着でいいんじゃないか。

そんな想いをよそに、勝負は1センチの差で決しました。

どんな素晴らしいレースも難解なレースも、必ず決着しすべての馬に冷酷な着順が与えられる。それこそが競馬のすばらしさであり、またそのつらさなのだと思います。

 

できれば同着であってほしかった。

けれど競馬には、

もし、たら、れば、ほしかった

を引きずることは、あまり意味を成さないことのようです。

できることと言えば、日々結果を粛々と受け止めて次のレースへの糧とすることの積み重ね。レースは毎週続いていきます。

私たちの歩く道と同じですね。

どこか、そんなふうに人生を投影するから、私は競馬に惹かれるのかもしれません。

 

今日もお越しくださいまして、ありがとうございました。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。