お伊勢さんにお参りし、旅館・橘さんで牡蠣を堪能しての帰り道のこと。
橘さんで最近開通した第二伊勢道路とやらを教えて頂くが、極度の方向音痴で運転ニガテの私にとってはナビに存在しない道を走ることほど危険なことはないため、断念する。
また志摩の景色が名残惜しく、少し風景に浸りながら走ろうとナビを下道にセット。
志摩・磯部町の海岸を走ります。天気もよく、海岸をドライブするワタシ、カッケーとニタニタします。
しばらく走ったところ、道路沿いに「天の岩戸」の文字と大きな鳥居が目に入ります。
天の岩戸?天照大神が隠れたと言われるあの岩戸?
今日お伊勢さんでお会いしてきた天照大神?
いろんな想念が浮かんでは消えていきます。しかし家路についていた私は、なぜか「早く帰らないといけないしな」と思い直して、そのまま車を走らせます。
そのまま5分ほど走っていると、海岸線から山道に入りました。
なぜか心が「ざわざわ」します。
車のオーディオからは、B'zの「Easy Come, Easy Go!」が流れていました。
踊ろよLASY やさしいスロウダンス
また始まる 眩いShow time
泣かないでBABY 力をぬいて
出逢いも別れも EASY COME, EASY GO!
大きなトンネルが見えてきましたが、そのトンネルに入る前に私は車を停めます。
帰りが1時間や2時間遅れようと、これからの人生の中では誤差に過ぎない。それよりも心が気になることをそのまま放置して、やっぱり寄っておけばよかったと後悔する方がアホらしい。
そう自分に言い聞かせて、私は車をUターンさせて来た道を走りだしたのでした。
大きな岩に刻まれた、天の岩戸の文字。
道路から外れ車のまま大きな鳥居をくぐると、こんな狭い小道が続いていました。
大きな対向車が来たら、すれ違えないくらいの幅です。もっと進むと、海側のガードレールはなくなり、反対側の側溝がむき出しになっています。運転がニガテな私にとっては、なかなかの修羅場です。
しかしそれでも、私は「ゾクゾク」していました。
この鳥居といい、この先には何があるのだろう?
天照大神はここにいらっしゃるのか?
おそらく自分の望みを叶えてあげたことで、心が喜んでいたように思います。
その先には小さな駐車場があり、数台の車が停まっていました。奥の小道から、年配の夫婦の方が戻ってこられました。他に訪れる人がいて、ほっとします。
そのわきに「天の岩戸」の説明看板がありました。
なるほど、日本の名水百選に選ばれた水源地のようで、この地で世界で初めて真珠の養殖を成功させた「MIKIMOTO」の創始者、御木本幸吉翁も崇拝されていたとのこと。
やっぱり戻って来てよかった。
その想いを胸に、奥へと歩いていきます。
林立する杉はどこまでもまっすぐで、ひっそりとしています。
途中で誰かが祀った岩を見かけたり、たくさんの灯篭がならんでいたりと、タダモノデハナイ不思議な小道でした。
5分ほど歩くと、天の岩戸と呼ばれる場所にたどり着きました。御木本幸吉翁が植えられた「御木本楠木」も見えます。
洞窟の奥から流れ出る名水。
ひしゃくが用意されていたので、手を洗って清めてみます。
その横には祭壇のような場所がありましたので、こちらにもお参りします。菊の御紋、やはり天照大神さまと何かゆかりがあるのでしょうか。
お参りを終え、来た道を戻ります。この時点で午後3時くらいでしたが、まだこれから奥へ向かう方ともすれ違いました。
寄り道、道草、無駄なことってなかなかできないものです。
効率的に時間を無駄にしないことが人生の目的なのでしょうか。そうではなくて、自分が楽しく充実していると思える時間を過ごすことが大切なことだと思うのです。
それを叶えられた自分を褒めてあげたいと思います。
そして、これからも少しずつ自分の望みを叶えていきたい。帰り道、林立する杉を見ながら、そんなことを思ったのでした。
さて、天の岩戸でパワーをもらった私は、意気揚々と帰り道に戻りました。
引き返したトンネルまで戻ってきたところ、トンネルに入ってすぐに前の車が動かなくなります。
はて、工事中か何かだろうか。
しかし、待てども待てどもほとんど前に進みません。さすがにイヤな予感がして、おそるおそるナビの地図を「拡大」してみます。
地図に示された道の先に見たものは・・・
緑色をした楕円形のエリアの中に浮かぶ、「伊勢神宮 内宮」の文字。
イヤイヤイヤ、もう今朝参拝したし!!!
ナビよ、なぜ今日鬼のように渋滞する最も通ってはいけない道をセットする???
そしてそれを確認しない私、アホすぎる・・・
内宮の前を抜けるまでに、そこから1時間半。
かくして意地になった私は、自宅までずっと下道で5時間をかけてヒトカラをしながら帰ったのでした。
まあ1時間でも5時間でも、これからの人生の中では誤差に過ぎないのでしょう。それよりもこうして提供できるネタができて、よかったと思うのです。
無駄と思えることができる。
それが人生の豊かさになると思えた旅の終わりでした。