大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

豊かさをめぐる秋分の丹後路6 ~宮津市「こんぴらうどん」にて豊かさを想う

豊かさをめぐる秋分の丹後路1 ~飯尾醸造さんの稲刈り体験会

豊かさをめぐる秋分の丹後路2 ~元伊勢籠神社・眞名井神社 参拝記

豊かさをめぐる秋分の丹後路3 ~元伊勢外宮豊受神社 参拝記

豊かさをめぐる秋分の丹後路4 ~元伊勢内宮皇大社 参拝記

豊かさをめぐる秋分の丹後路5 ~日室ケ嶽遥拝所・天岩戸神社 参拝


 

天岩戸神社を参拝して、この秋分の丹後路も終わりに近づいてきた。

まだ陽は高いが、ここから自宅まではナビの予測で4時間強。

休憩と日曜日夕方の渋滞を考えると、その1.5倍は見ておいた方がいいのだろう。

名残惜しいが、足ることを知ることもまた、大切なことだ。

それでも、帰路につく前に、もう一度宮津に戻ろうと考えていた。

秋晴れの空、丹後の山々は穏やかでいながら、緑に輝いていた。

下道で車を走らせながら、風景が流れていく。

かつて、酒呑童子の棲み処だったと伝えられる、その山々。

なぜ、鬼はここを選んだのか。

そして、なぜ、ここが天照大神がご鎮座される候補地だったのか。

考えてもわかるはずもないが、その不思議さを想う。

鬼と、神と。

それらが混沌としていた古代史を、また学びたくなった。

新しいものに興味がわく。

それもまた、旅の与えてくれる豊かさの一つなのだろう。

 

30分ほど走らせると、宮津市街に戻ってくる。

朝、出発した宿を横目に通りすぎる。

また、この宿に来たいな。

そんなことを思いながら、目的地へと走る。

目的地は、宮津の至宝「こんぴらうどん」さん。

以前にここに来たのは、十年以上も前だったか。

宮津を訪れた際に、飯尾醸造の五代目、飯尾さんアテンドしていただいた。

あまりにも美味しかったその味は、年月を経ても私の記憶から消えることはなかった。

いつか、再訪しよう。

そう思いながら、なかなか訪れる機会に恵まれずにいた。

お昼だけの営業時間。

宮津を訪れるのは、いつも田植えか稲刈りの体験会だったため、なかなか訪れるのが難しかった。

しかし今回、一人旅ということもあり、行程に自由が利く。

ルートとしては、午前中に福知山に行ってからまた戻ってくる形になるが、それでもいい。

私にとって、そのために行程を組むだけの価値が、ここにはある。

十数年来の再訪。

そのことを想うと、大江山の山越えもすいすいと進んだ。

駐車場に車を停めて、暖簾をくぐる。

記憶の中のお店のたたずまいと、変わりはなかった。

迷いに迷って、「鳥なんば」とおにぎりを。

鶏肉とネギ、シンプルな素材のみのうどん。

そのおだしが、まるでラーメンのスープのように美味しい。

飲み干したくなるような、深いうまみ。

それでいて、うどんの味を引き立てる。

やまつ辻田さんの粉山椒と七味唐辛子がついていて、それを振るとまた驚くほどに美味しくなる。

そして、塩味とゴマのみの、これまたシンプルなおにぎり。

お米の味が、身体に染みわたる。

前日の田植えを思い出しながら、一口ずつ、噛み締めるようにして味わった。

うどん、そしておにぎり。

おにぎり、そしてうどん。

とんでもなく豊かな昼食の時間だと感じながら、おだしを啜った。

この味に導いてくださったのも、十数年前の飯尾さんとのご縁だ。

つながり、記憶、そしてお米があるこの国。

豊かさとは、いまここにすべてあるのかもしれない。

そして、それに気づくことだけなのかもしれない。

そんなことを想いながら、私は帰路につくことにした。

訪れるたび、宮津が、丹後が好きになる。

豊かさをめぐる秋分の丹後路。

また、宮津を訪れようと思った。