豊かさをめぐる秋分の丹後路2 ~元伊勢籠神社・眞名井神社 参拝
元伊勢外宮豊受神社を出て、また車を走らせる。
京都府福知山市。
京都と聞けば、あの京都市内の寺社仏閣の風景を思い浮かべるが、この京都北部もまた、魅力にあふれている。
遥か平安の昔、京の都からの人の往来も多かったのだろうか。
訪れる地の歴史と風土を知るのは、楽しい。
里山の風景が、流れていく。
車の往来も少なく、立ち寄ろうと思ったガソリンスタンドは、日曜定休日だった。
秋晴れの、気持ちのいい日だった。
バイクでツーリングをする一団とすれ違う。
二輪にはまったく興味を持つことのなかった私だが、この季節のツーリングは気持ちよさそうだ。
ほどなくしてナビの示す駐車場にたどり着き、そこから歩いて目的地に向かう。
元伊勢内宮皇大社。
先に訪れた元伊勢外宮豊受神社が、伊勢の外宮の「元伊勢」ならば、こちらは内宮の「元伊勢」。
ご由緒によれば、崇神天皇の御代に、天照大神を永遠にお祀りする聖地を求め、笠縫邑をお出になったあとに最初に遷られたのが、この丹波の地であったとされる。
元伊勢籠神社に限らず、各地にその名を残す「元伊勢」。
知るほどに、不思議さと興味が尽きない。
石段を一段、一段と踏みしめて登る。
その先に、白い鳥居。
少し丘に上がっただけで、里の風景が変わる。
雲が、秋のかたちをしていた。
遥か古代の昔、この地に天照大神が祀られていた。
伊勢の内宮の「元伊勢」。
あの伊勢神宮の境内の空気を思い出しながら、石段を登る。
一組だけ、参拝客とすれ違う。
静謐な空気と時間が流れていた。
江戸の昔、この地は参勤交代の通路であったため、広く崇敬されたという。
麓には宿屋が10軒以上もあり、茶屋、土産物屋が軒先を並べていたそうだ。
明治から大正期にかけて、船便が途絶えたことで参拝客が激減したが、昭和の戦後、交通網の発達により元伊勢参りが盛んになった、と。
私も、その道路交通事情の発達で恩恵を受けて、参拝させていただいている一人だ。
明治の初めには、年間8万人の参拝客でにぎわったという、この地の元伊勢。
人の世の移ろいと、時代の流れと。
歴史のある神社を訪れるたびに、いまここにそれがあることの奇跡を想う。
どれだけ崇高な神さまがいらっしゃったとしても。
人がいなければ、廃れていくだけだ。
連綿と途切れずに、今日この日まで歴史が紡がれてきたことで、この石段を登ることができる。
表参道には220段の石段。
その石段を登った先に見えるのは「麻呂子杉」。
樹齢千年以上とされる、まさに巨木。
麻呂子杉は、聖徳太子の御弟麻呂子親王が、丹後国与謝郡河守庄三上嶽に棲む英呉、軽足、土熊という3人の凶賊を追討された時に、当社に詣でて御手植えになったのが3本杉といわれています。
巨木、大きな巌、黄金色の朝日、あるいは雄大な山々。
そうしたものに神々が宿ると見るのは、とても自然なことのように感じる。
秋の日差しを浴びて、そびえ立つ麻呂子杉。
静かで力強い、その姿。
手をあわせて、祈りを。
末社の御門神社の前に、原始的な祭壇と思わしき場所が。
熊野の神倉神社を思いだす。
あの頂上にあったゴトビキ岩もまた、その脇のくぼみのような場所に、祭壇があった。
古の人々は、隠れているもの、見えないものに、畏敬の念を払っていたのだろうか。
見えるものと、見えないもの。
視界からはみ出るような巨木ととともに、こうした暗がりに聖なるものを感じとってきた、先人たちを想う。
ようやく、本殿にたどり着く。
歴史と神聖さを感じさせる、たたずまい。
全国的にも少ないという、茅葺の神明造の本殿。
左手に見えるのは、「龍灯の杉」。
樹齢2千年と伝えられるご神木。
この巨木の梢に節分の夜、丑三つ時になると龍王が龍宮から天照皇大神に神灯を捧げるという神秘な伝説があります。
その灯は、下枝から次第に上枝へと昇ってやがて天に至ると伝えられています。
節分の夜に、龍が灯りを捧げるというのは、先に外宮で見た伝承と同じだ。
節分といえば、旧暦の冬と春を分ける地点。
そこで、龍が灯りを捧げにくるというのは、やはり新しい春を祝うためだろうか。
陰から、陽へ。
その移り変わりを祝うことが、遥か昔から連綿と続いてきた。
鳥居もまた、元伊勢外宮豊受神社と同じ、樹皮のついた丸木のままで組まれた「黒木の鳥居」。
一例をして、境内を回る。
とても静かで、そして豊かな場所だった。
その土地を訪れること。
その風に触れること、その音を聞くこと。
その地と、交わること。
それはやはり、とても豊かなことではないかと思う。
その豊かさを想いながら、今日ここに来ることができたことに、感謝を捧げてきた。