とかく私たちは自分ではない誰かになろうとしますが、その試みがうまくいくことはまずありません。
どんなものであっても、それを自分のものとして受容して生きること。
その絶え間ない連続が、自らのアイデンティティとなっていくのです。
そんなテーマに寄せて、砂に生きたある一頭のサラブレッドについて綴ってみたいと思います。
2008年、ジャパンカップダート。
前年までの東京から、阪神に舞台を移しての開催。
1番人気は前年の覇者、ヴァーミリアン。続いて3歳の雄・サクセスブロッケン、海外遠征帰りのカジノドライブと人気は続いた。
「その馬」は、4番人気だった。
「その馬」、芝コースの新馬戦4着、未勝利戦11着と凡庸なデビューだったが、よほど砂の上を走るのが好きだったのか、3戦目でダートに転向してから快進撃。
3歳だった2005年はダート8戦7勝でジャパンカップダートを含むG1を3勝。
同期の無敗の三冠馬と同馬主、同じ武豊騎手主戦に寄せて「砂のディープインパクト」とまで称された。
しかし彼の馬は、翌2006年秋に屈腱炎を発症する。
幾多の名馬を引退に追いやってきた、競走馬にとって不治の病。陣営は再起を信じ、長期休養を選択する。
翌2007年に帰厩するも、調整中にまたしても屈腱炎を再発。また1年の雌伏の時を過ごす。
臀部の幹細胞を腱に移植する大手術を経て、復帰した前走・武蔵野ステークスは9着。
迎えた本番・ジャパンカップダートでの4番人気は過剰とも思えた。
しかしゲートが開くと、悠々と気持ちよさそう先団を追走し直線早めに抜け出す。追い込んできたヴァーミリアンとメイショウトウコンをわずかに抑えて、快勝。2年10か月ぶりの快哉を国際G1という大舞台で挙げる。
その後骨折までを経験しながら、三たび甦るその走りは、もう「砂のディープインパクト」ではなく、
「カネヒキリ」
そのものだった。
そんな彼の馬だったが、今年5月に事故で鬼籍に入っている。
種牡馬として血も次代へ残ったが、不死鳥のような不屈の走りは、いつまでもそれを観た者の心に留まり続ける。
2017.12.3
2000年に新設されたG1・ジャパンカップダートは、その後2008年に開催場所を東京から阪神に変更し、さらに2014年からは名称をチャンピオンズカップと変更し中京競馬場での開催となっています。
上に挙げたのは、阪神競馬場に開催が移った初年度の2008年のこと。怪我による約2年間の休養を経て、ようやく戻ってきたカネヒキリが復活を挙げたレースでした。
同期の歴史的名馬・ディープインパクトと同じ馬主、同じ勝負服、同じ騎手でした。しかし栄光の道を歩みながら引退したディープインパクトとはまた違って、カネヒキリの何度でも甦る不屈の走りは多くの人の心に留まり続けます。
カネヒキリがディープインパクトになりたかったかどうかはさておき、彼らの生はそれぞれに素晴らしい光を放っていました。
誰かになろうとしなくていい。
あなたはあなたの生を生きればいい。
在りし日のレース画像を眺めていると、そんなことをカネヒキリは教えてくれるようです。
強い寒波で大荒れの週末になりましたね。
大荒れの天候も楽しめると、また豊かな生を生きられると思うのです。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。