大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

続・「感謝」はスゴインデス。

昨日のテーマの続きです。

昨日は、感謝はすっごいパワーを持っていて、そして特別な出来事や特別なことをしてくれた誰かに感謝をすることもいいけれど、今を楽しんで日常の細部を味わい尽くすと、世界にはきっと感謝の想いが感じられるものであふれていることに気づける、というようなテーマでした。

今日はそれをぴろっとめくって裏面から見てみても、結局最後は感謝しかない、というテーマです。


昨日家具に左足の人差し指を思い切りぶつけて負傷。グロいくらいに赤黒く腫れてしまい、しばらくランニングはお休みしなさいとのお達し。

人差し指一本怪我しただけで、歩くのも億劫になる。怪我をすると、人の身体の完璧さをほんとに思い知らされる。

そんな日は牡蠣飯とぶり大根と焼酎で出来あがってみる。

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2018.1.29


ええ、ひどい怪我をしました。

それもリビングでコート掛けのようになっていたエアロバイクの脚の部分に、強烈に左足をぶつけました。健康になるための器具で怪我をするとは、なんとも笑えない皮肉です。

しかし、なんでああいうときって言葉が出ないんでしょうね・・・息が止まってしばらくうずくまって悶絶していました。しばらくして落ち着いてきたので、そのままにしておいたのですが、数時間後にふと見ると人差し指は中指の1.5倍くらいに腫れあがって赤黒くなっていました。

これやばいんかなー、と「足の親指 ぶつける」とか入れて検索すると、同じような画像がたくさん出てくるのですね。皆さん考えることは一緒です。知恵袋なりQ&Aのコーナーに「これやばいですか?」と質問して、「ここで聞くより、はよ病院行け!」ともれなく回答されていました。ええ、私と同じように皆さんアホですな。

さて必死に保冷剤で冷やしたのが功を奏したのか、翌日の朝にはだいぶ腫れと痛みが引いていましたが、それでも靴の中で痛みは出るし、まだ痛くて歩きにくいし、動きにくくて今もまだストレスです。

それで、ようやく気づくわけです。
怪我していなければ、左足の人差し指なんて日常の中でほとんど意識したことがありませんでした。たかが指一本、されど指一本。今までずーっと歩いたり走ったりするときに私の身体を支えてくれてたんだなーって。

ありがたいな。
怪我でもしていなければ、気づかなかったな、と。

 

一般にネガティブな印象を受ける出来事は、往々にして私たちが忘れていた感謝の想いを呼び起こさせてくれます。

怪我、失恋、事故、失職、別離、人間関係のトラブル、災害、挫折、病気・・・

それが起こった当初はショックだったり、パニックになったり、自暴自棄になったり、落ち込んだり、誰かを恨んだり・・・もちろんそうなるのが人間です。

しかし、人の心というものはどこまでも強いものです。時間はかかっても、必ずそこから立ち直っていきます。

もちろんそこに至るまでには、パニックから怒り・罪悪感、そして抑うつと無気力の状態を経て再生するまでの、長い長い時間が必要になる場合もあります。しかしそれを経た後には、地に足のついた感じでこんなことを思うのかもしれません。

人の温かさの有難みが身に染みた。
ずっとわがまま聞いてくれていた元彼の優しさが分かった。
自分の身体の大切さを思い知った。
仕事をすることの喜びを感じることができた。
夢を持ち続けることの意味を知った。
人を愛することの尊さを感じた。

・・・などなど、「ジャンプ」や「りぼん」の漫画の世界の中の台詞を「実感」として体験するのです。

人生最大の悲劇は、人生最大の喜劇に変えられる。そんな格言もあります。

いま現実に起こっていることに、善いも悪いもありません。それに対して意味づけをしているのは、私たち自身です。

そして、すべての問題は、必ず最後は感謝で終ります。

だとすると、何が起こっても善いも悪いもなく、感謝していれば最高に豊かな生を送れるのではないでしょうか。

人差し指を怪我したら、ありがとう。
クレームの電話をもらったら、ありがとう。
病気の告知をされたら、ありがとう。
仕事で左遷されたら、ありがとう。
突然彼にフラれたら、ありがとう。

そんなアホな!と仰られるかもしれませんが、そんな捉え方もあることを知っているだけでも、いろんな生き方の引き出しが増えていいと思うのですが、いかがでしょうか。

 

まだまだ厳しい寒さが続きますね。

そんな冬の寒さにも、「ありがとう」
いつも当ブログにお越し頂いて、「ありがとう」

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。