「手放し」も「許し」も、そのプロセスの先には感謝があります。
それならば、先に感謝してしまうというのも、一つの方法です。
1.執着を「手放す」ということ
ここのところ、「手放し」というテーマを集中的にお伝えしております。
何かに執着しているとき、私たちの心はとても不自由で、苦しさを感じます。
執着とは、心理的に近づきすぎて、その対象しか視界に入らない状態です。
その相手やものごとしか見えていないのですから、他の選択肢があることなど、つゆほどにも思わないものです。
傍から見れば、それはとても不自然な状態に見えるかもしれません。
けれども、執着している本人にとっては、どうしようもなく苦しいんですよね。
「手放し」とは、そうした執着から、文字通り「手をはなす」という心の動きです。
ぎゅっと握りしめていた手を、そっと緩めるようなイメージ。
あるいは、愛を持って、その対象との距離を空けるようなイメージ。
この「愛を持って」というのがポイントです。
無理やりにその対象を避けようとしたり、嫌おうとしたりして、離れるわけではないのが、「手放し」です。
お互いを縛ってしまっていた鎖をそっとほどき、そしてゆっくりと距離を空ける。
離れた距離で、もう一度、その相手を見つめる。
そこで、もう一度手を差し出すのか、それとも、微笑みとともに相手を見送るのか、それは自由です。
その自由は、自分と同時に相手にも与えられるものです。
「手放し」とは、執着から自分を解き放ち、主体的に生きることのできる心のはたらきといえます。
2.「手放し」も「許し」も、行きつく先は感謝
「許し」とは、誰のため?
この「手放し」と似た心のはたらきに、「許し」があります。
一般的には「許し」とは、「誰かの罪やミスを許して『あげる』」という、どちらかというとその相手のためにするニュアンスがあります。
しかし、心理学においての「許し」は、少し意味合いが異なります。
それは、相手やそのできごとを、主体的に受け入れることを指します。
それは誰のためにするのかといえば、他でもない、自分自身のためにすることです。
許せない人がいると、人はその対象に復讐しようとします。
意識的にせよ、無意識的にせよ、自分が幸せにならないことで、その対象に訴えかけようとします。
「ほら見て、あなたのせいで、私はこんなにもひどい不幸なんだよ」、と。
その状態でいると、なかなか自分を幸せにしようとしたり、与えようとしたりすることは難しいものです。
「もし、あなたが幸せでないなら、それは誰かを許していない」
という格言があるくらいです。
「許し」の対象は、別れた恋人や、ひどい扱いをしてきた上司、あるいはほしい愛を与えてくれなかった親かもしれません。
しかし、最終的に許すのは、自分自身になります。
どちらも行きつく先は「感謝」
そんな「許し」ですが、そのプロセスは「手放し」と似ている点があります。
それは、いずれも行きつく先は、その対象への感謝である、という点です。
「手放し」が進むと、その対象への執着が薄まり、その代わりに感謝が芽生えてきます。
「あの人と出会ったおかげで、自分の知らなかった面に気づけたな」
「あのできごとがあったから、いまの自分があるんだよな」
「付き合っていた時間は、とても美しい思い出だな」
そんな風に、その対象への感謝を感じる時間が多くなっていきます。
もちろん、以前にも書いたように、「手放し」のプロセスは一直線に進むわけではありませんから、時には執着がぶり返したり、「やっぱりムカつく!」と激情に駆られたりすることもあるものです。
けれども、「手放し」の先には、感謝があります。
「許し」のプロセスもまた、同じです。
まずは、抑え込んでいた感情を解放。
そして感情的な理解を経て、その対象への感謝に至ります。
そこでは、「イヤだけど許してやるか…」ではなく、「ほんとにありがとう」という心情に至るものです。
もちろん、ずっとその境地にいることは難しいですし、「やっぱり許せない!」となるのもまた、人なんですけれどね笑
「手放し」にしても、「許し」にしても。
その行きつく先は、感謝であるという点が似ています。
3.大嫌いなあの人に感謝してみる
「手放し」も「許し」も、行きつく先は感謝である。
そうならば、先に感謝しておく、というのも一つの方法です。
「形式だけの感謝なら、してもしょうがないじゃないか」
「そう思えないのに、無理やり感謝するのは、自分の心を偽っていることにならない?」
もしかしたらそんな疑問が、浮かぶかもしれません。
もちろん、いろんな考え方、アプローチの仕方があっていいと思うのですが、私は形だけでも感謝することは、意味があると思う方です。
「私の大嫌いなあの人」に向けて、「ほんとに、ありがとう」と唱える。
あるいは、「どうしても許せないあの人」に向けて、その人の幸せを祈る。
そのことで、見えてくるものがあるように思うのです。
私自身も、ほんとに執着がしんどいとき、「(私の大嫌いな)あいつが、どうか幸せになりますように」と、一人で車の中でブツブツと唱えていたことがあります。
完全に、あやしい人ですが笑
もちろん、それをしたところで、すぐに執着が緩むことはないですし、苦しさは変わりません。
けれども、「もし感謝できるとしたら、それはどんな自分なんだろう?」ということを考えたりしました。
大嫌いなあの人に、どうしても許せないあいつに、感謝できる自分。
それって、どんな自分なんでしょうね。
そんな人になんか、絶対になれないと思いますか?
いいえ、そんなことないと思うんです。
この記事を読んで、何か感じるものがあなたのなかにあれば、それは必ず芽吹きます。
もちろん、いますぐにでは、ないかもしれません。
けれども、そんな自分がきっとある、ということだけでも、ぜひ覚えておいていただけると、幸いです。
今日は、「手放し」も「許し」も、行きつく先は感謝であるというテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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