大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「手放し」も「許し」も、行きつく先は感謝できるようになること。

「手放し」も「許し」も、そのプロセスの先には感謝があります。

それならば、先に感謝してしまうというのも、一つの方法です。

1.執着を「手放す」ということ

ここのところ、「手放し」というテーマを集中的にお伝えしております。

何かに執着しているとき、私たちの心はとても不自由で、苦しさを感じます。

執着とは、心理的に近づきすぎて、その対象しか視界に入らない状態です。

その相手やものごとしか見えていないのですから、他の選択肢があることなど、つゆほどにも思わないものです。

傍から見れば、それはとても不自然な状態に見えるかもしれません。

けれども、執着している本人にとっては、どうしようもなく苦しいんですよね。

「手放し」とは、そうした執着から、文字通り「手をはなす」という心の動きです。

ぎゅっと握りしめていた手を、そっと緩めるようなイメージ。

あるいは、愛を持って、その対象との距離を空けるようなイメージ。

この「愛を持って」というのがポイントです。

無理やりにその対象を避けようとしたり、嫌おうとしたりして、離れるわけではないのが、「手放し」です。

お互いを縛ってしまっていた鎖をそっとほどき、そしてゆっくりと距離を空ける。

離れた距離で、もう一度、その相手を見つめる。

そこで、もう一度手を差し出すのか、それとも、微笑みとともに相手を見送るのか、それは自由です。

その自由は、自分と同時に相手にも与えられるものです。

「手放し」とは、執着から自分を解き放ち、主体的に生きることのできる心のはたらきといえます。

2.「手放し」も「許し」も、行きつく先は感謝

「許し」とは、誰のため?

この「手放し」と似た心のはたらきに、「許し」があります。

一般的には「許し」とは、「誰かの罪やミスを許して『あげる』」という、どちらかというとその相手のためにするニュアンスがあります。

しかし、心理学においての「許し」は、少し意味合いが異なります。

それは、相手やそのできごとを、主体的に受け入れることを指します。

それは誰のためにするのかといえば、他でもない、自分自身のためにすることです。

許せない人がいると、人はその対象に復讐しようとします。

意識的にせよ、無意識的にせよ、自分が幸せにならないことで、その対象に訴えかけようとします。

「ほら見て、あなたのせいで、私はこんなにもひどい不幸なんだよ」、と。

その状態でいると、なかなか自分を幸せにしようとしたり、与えようとしたりすることは難しいものです。

「もし、あなたが幸せでないなら、それは誰かを許していない」

という格言があるくらいです。

「許し」の対象は、別れた恋人や、ひどい扱いをしてきた上司、あるいはほしい愛を与えてくれなかった親かもしれません。

しかし、最終的に許すのは、自分自身になります。

どちらも行きつく先は「感謝」

そんな「許し」ですが、そのプロセスは「手放し」と似ている点があります。

それは、いずれも行きつく先は、その対象への感謝である、という点です。

「手放し」が進むと、その対象への執着が薄まり、その代わりに感謝が芽生えてきます。

「あの人と出会ったおかげで、自分の知らなかった面に気づけたな」

「あのできごとがあったから、いまの自分があるんだよな」

「付き合っていた時間は、とても美しい思い出だな」

そんな風に、その対象への感謝を感じる時間が多くなっていきます。

もちろん、以前にも書いたように、「手放し」のプロセスは一直線に進むわけではありませんから、時には執着がぶり返したり、「やっぱりムカつく!」と激情に駆られたりすることもあるものです。

けれども、「手放し」の先には、感謝があります。

「許し」のプロセスもまた、同じです。

まずは、抑え込んでいた感情を解放。

そして感情的な理解を経て、その対象への感謝に至ります。

そこでは、「イヤだけど許してやるか…」ではなく、「ほんとにありがとう」という心情に至るものです。

もちろん、ずっとその境地にいることは難しいですし、「やっぱり許せない!」となるのもまた、人なんですけれどね笑

「手放し」にしても、「許し」にしても。

その行きつく先は、感謝であるという点が似ています。

3.大嫌いなあの人に感謝してみる

「手放し」も「許し」も、行きつく先は感謝である。

そうならば、先に感謝しておく、というのも一つの方法です。

「形式だけの感謝なら、してもしょうがないじゃないか」

「そう思えないのに、無理やり感謝するのは、自分の心を偽っていることにならない?」

もしかしたらそんな疑問が、浮かぶかもしれません。

もちろん、いろんな考え方、アプローチの仕方があっていいと思うのですが、私は形だけでも感謝することは、意味があると思う方です。

「私の大嫌いなあの人」に向けて、「ほんとに、ありがとう」と唱える。

あるいは、「どうしても許せないあの人」に向けて、その人の幸せを祈る。

そのことで、見えてくるものがあるように思うのです。

私自身も、ほんとに執着がしんどいとき、「(私の大嫌いな)あいつが、どうか幸せになりますように」と、一人で車の中でブツブツと唱えていたことがあります。

完全に、あやしい人ですが笑

もちろん、それをしたところで、すぐに執着が緩むことはないですし、苦しさは変わりません。

けれども、「もし感謝できるとしたら、それはどんな自分なんだろう?」ということを考えたりしました。

大嫌いなあの人に、どうしても許せないあいつに、感謝できる自分。

それって、どんな自分なんでしょうね。

そんな人になんか、絶対になれないと思いますか?

いいえ、そんなことないと思うんです。

この記事を読んで、何か感じるものがあなたのなかにあれば、それは必ず芽吹きます。

もちろん、いますぐにでは、ないかもしれません。

けれども、そんな自分がきっとある、ということだけでも、ぜひ覚えておいていただけると、幸いです。

 

今日は、「手放し」も「許し」も、行きつく先は感謝であるというテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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